第554話
あれから結局、僕は紅葉の隣の部屋へと引っ越した。元々麗華と2人で使うつもりで用意されていたから、部屋とベッドが広すぎたのだ。
おまけに長い廊下の先にあることを考えると、夜中に尿意が催しても間に合わないかもしれない。それらを考えての移動である。
ちなみに、窓に入っていたヒビは、そういう風に見えるシールだったらしい。天井の穴も同じで、麗華の部屋にするためだと目の前で剥がされた時には驚いたよ。
そのまた隣の部屋の『誰かが窓を叩く音がする』ことの原因だけは、本当に分かっていないみたいだけれど。
「とりあえず、部屋は決めましたので昼食にしましょう」
「そうね。けど、瑠海さんがここにいるってことは、まだ作り始めてないのよね?」
「いいえ、紅葉様。私はお嬢様方のお腹を空かせるようなミスを犯したりはしません」
「ってことは料理はしてるんですね。でも、こんな長い時間目を離してたらとんでもないことになってるんじゃ……」
「瑛斗様は心配性ですね。大丈夫です、ちゃんと料理は進んでいますよ」
ここまで言うのなら大丈夫だろうが、メイドさんは他にはいないと既に聞いている。
つまり、豪邸に似合う素晴らしい機能……例えば自動調理システム的なものにやってもらっているのだろうか。
そんな妄想に男子高校生相応のワクワクを感じながらキッチンへと移動した僕は、180度どころか540度回った現実に唖然とした。
「晋助さんが料理をしてる……」
「ん? ああ、もう部屋割りは決まったのかな。すぐに完成するから待っていなさい」
「晋助さん、いつも椅子に座ってると思ってたけど、料理なんて出来るのかしら」
「そこの君、聞こえているのだが?」
「ご、ごめんなさい……」
「そう怖がる必要は無い。最近、メイドが私の言うことを聞かなくなってね。自分でいろいろできるように練習したのだよ」
そう言いながら、スープを器に注ぐ晋助さんの背中は少し寂しげだった。
いくら麗華のお母さんの方がメイドさんたちの契約者であり、何かあれば麗華に味方するように言われているとはいえ可哀想過ぎる。
その考えが視線から漏れていたのか、前に出た瑠海さんがそっと器とおたまを受け取った。
「白銀家のメイドはお嬢様を少し優遇しているだけに過ぎませんから、旦那様のご飯を作らないなんて愚行を働くことはありませんよ」
「……そうか」
「旦那様がお嬢様の自由な恋を認めて下されば、私たちも今まで通りに接します」
「それが原因だったのか?!」
「もちろんです。念を押しておきますが、屋敷の中で反対派は旦那様のみです」
「なっ……シェフの中にあと二人いたはず……」
「メイド機動隊の交渉術を舐めないでください。無償のOKをいただきましたよ」
「…………」
どこまでも可哀想な人だ。僕も嫌われている当事者でなければ慰めに走ったけれど、今はただ出ていく背中を見送ることしか出来ない。
心の中だけで励ますことにして、瑠海さんがササッと準備してくれた料理を食卓まで運んで行く。
こちらはリビングと違って5人分の椅子だけが置かれた小さめのテーブルなので、場所は気にせず適当に腰を下ろす。
何だか背後でジャンケンをしていたような気がしないでもないけれど、そこは知らなかったことにしておこう。
「あれ、晋助さんは一緒に食べないんですか?」
「旦那様は自室で食べられるそうです」
「じゃあ、僕が呼んでくる。せっかく作ってもらったのに、感想がすぐに言えないなんて勿体ないですからね」
「瑛斗様が呼ばれても来ないかもしれませんが……」
「試してダメなら諦めます。まだ試してないので諦めません」
「……ふふ、健闘を祈っていますね」
瑠海さんはそう言うと、紅葉と麗華と共に持っていたフォークを置く。イヴも一口食べてしまったけれど、周りを見回してサッと手を離した。みんな、戻ってくるまで待ってくれるつもりなのだろう。
僕はその様子に歩く足を早めると、廊下へ飛び出したところであることに気がついて慌てて駆け戻ったのだった。
「晋助さんの部屋ってどこか聞き忘れてた」
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