第365話

 展示されたサメの歯を前に海の広大さを感じた後は、僕たちは揃って次のエリアへと向かうことにした。

 先程までは離れてしか見られなかった、ジンベエザメのいるあの大きな水槽の前である。


「そう言えば、ジンベエザメもサメなのよね。さっきの話を聞いてからだと、どうしてサメって認識がなかったのか納得するわ」

「これだけの大きさでありながら、プランクトンと小さな魚が餌ですからね。食べられる方からすれば恐ろしいでしょうけど」

「ガラス越しだからこそ楽しめるんだもの」


 紅葉くれはの言葉にウンウンと頷いた麗華れいかは、館内図の描かれた紙をチラッと覗くと、その端に書かれた文字を見てにんまりと笑う。


「3時頃に餌やりがあるそうですよ」

「予定的に見れないわね」

「残念ですね。東條とうじょうさんには魚に扮して入って頂きたかったのに」

「こちらこそ、それをオススメするわ」

「いえいえ、私は大きくて飲み込めませんよ」

「誰がチビよ!」

「何もかも東條さんより大きいと思いますが?」


 そう言いながら胸を強調するような仕草をした彼女は、そのまま後ろにいた僕にも同じポーズをして見せた。


「ですよね、瑛斗さん」

「事実だから仕方ないね」

「え、瑛斗まで……」

「でも、紅葉には紅葉のいいところがあるし、麗華には麗華のいいところがある。見た目を気にしてるようじゃ、2人ともまだ器が小さいね」

「「っ……返す言葉もない……」」

「もちろん、2人がその見た目のせいで苦労してるってことも分かってるから、全く気にするなって言うつもりもないけどさ」


 以前にノエルから聞いたことがあるのだ。胸が大きな人は肩を凝るから小さいことを羨み、小さい人は劣等感を覚えて大きいことを羨むと。

 彼女の所属するWASSup?調子はどう?の4人も、みんなスタイルが違うためによく愚痴を聞くことがあるんだとか。


「少なくとも僕は2人の見た目を気にしないからね」

「瑛斗……」

「瑛斗さん……」


 2人はお互いに見つめ合うと、何やら小声で会話をしてから僕の方へ向き直る。

 一体何を話したのかは分からないけれど、ひとまず今回の言い合いは収めてくれる気になったらしい。


「あ、そう言えば―――――――――」


 そこにあるカフェの飲み物が美味しいらしい。そう伝えようと口を開いた瞬間、何かが突然背後からぶつかって来た。

 体幹なんてものとは無縁の僕は、何とかガラスにぶつかることは避けたものの、足を絡ませて仰向けに転んでしまう。


「ご、ごめんなさい! また不幸に巻き込んで……」


 慌てて起こしてくれたのは紅葉でも麗華でもない。ただ、その声には確かに聞き覚えがある。萌乃花ものかだ。


「もし頭打っていたらどうすれば……」

「萌乃花、別になんともないよ」

「はっ! 痛いの痛いの飛んで行けーをすればいいんです!」

「もしもし、聞こえてる?」

「痛いの痛いの……飛んで行けー!」


 慌てすぎて外部の声が届いていないらしい彼女は、その呪文を唱えながら僕の頭を掴んでギュッと抱きしめてくる。

 幼い頃に親からしてもらったものとはかなり違うね。顔は萌乃花の柔らかい部分に埋めさせられるし、それなのに全力で押さえられて痛いし。


「萌乃……萌乃……花……!」

「痛いの痛いの飛んで行けー!」


 そもそも痛みなんて無いようなものだったはずなのに、優しさゆえの行動で痛みを与えられる。

 どういう感情を抱けばいいのか分からなくて、僕の頭は軽くパニック状態になっていた。酸素が供給されていないことも原因だろうけれど。


「痛いの痛いの―――――――――」

「ちょっと、瑛斗が死ぬわよ?!」

「離れてください!」

「あわわ……まだ呪文の途中ですよぉ……」


 ようやく彼女の魔のホールドから解放されたのは、紅葉たちが僕の危機に気が付いてくれた3分後の事だった。

 もう少し遅ければ、このことが新聞記事に乗るところだったね。『男子高校生、同級生女子の胸の中で窒息』って。狭間はざま家が末代まで笑われちゃうよ。


「ご、ごめんなさい! 瑛斗さんを後ろから驚かせようと忍び寄ったんですけど、直前でつまづいてしまって……」

「不幸体質だって言ってたもんね」

「えへへ、これで24個目です」

「どちらかと言うと僕の不幸だけど」

「うぅ、すみませんでしたぁ……」

「責めたわけじゃないから謝らないでよ」


 何度もペコペコと頭を下げる萌乃花。そんな彼女の胸元を見た紅葉と麗華が、口を半開きにさせながら固まったことは言うまでもない。


「やっぱり私、見た目は気にするわ……」

「同感です。このレベルは強敵ですよ」


 S級の2人が萌乃花への敵意を高める中、そんなものを向けられているとは知らない彼女は、ふと周りを見回しながらカクッと首を傾げるのであった。


「は、班の皆さんとはぐれてしまいましたぁ……」

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