第284話

 とあるタワーマンションの最上階。そこが夏川なつかわ みどりの自宅だった。

 本来は一般のファンが来ていい場所ではないし、そもそもアイドルの自宅なんて特定されては困るので極秘のはずだが、ノエルの友達ということで僕も上げてもらえた。


「……はぁ、お前ってアホだな」


 ノエルがここに来た理由を説明し終えてから、翠さんが発した第一声がこれである

 彼女のキャッチコピーが『見た目と中身のギャップ』だからといって、ここまで冷たくしなくてもいいんじゃないか。

 そう言おうと思った矢先、短くため息をついた翠さんはノエルの頬に手を当てると、落ち込んだ視線を強引に上げて自分の方を向かせた。


「そんな大事なこと、真っ先にあたしに相談するべきだろ」

「みどりぃ……」

「よしよし。悪しきマネージャーからお前を守ってやるからな」


 紫波崎しばさきさんがいつの間にか悪者にされている。めちゃくちゃいい人なのになぁ。

 まあ、勝手に仕事を入れちゃったところはあまりよくないと思うけれど、それもきっとノエルのことをもっと売り出そうとしてのことだろうし。


「ここのセキュリティは強いから、いくら紫波崎でも勝手に覗きには来られない。隠れるにはもってこいだ」

「あの、翠さん?」

「ノエルの友達だろ? なら翠でいい」

「じゃあ、翠。ノエルが休んだ仕事はどうすればいいのかな。アイドルがサボりってまずいと思うんだけど」


 僕の質問に彼女はメモ帳を取ってくると、パラパラとめくって何かを確認する。

 こっそり覗いてみると、メンバー全員の予定が細かく書いてあった。ちゃんとイメージカラー通りに色分けもしているなんてすごいね。


「今日から2週間だったよな。……ノエルが熱を出したことにして、半分は私が変わりに出る」

「いいの?!」

「残りは心春こはる橙火とうかに頼んでみるよ」

「さすが翠、頼りになるよぉ〜!」

「おいおい、そんなくっついてくるなって」


 ギュッと抱きついてくるノエルに、満更でもなさそうな表情で弱々しい抵抗をする翠。

 可愛い女の子同士のイチャイチャを見て喜ぶ趣味はないと思っていたけれど、これはこれで案外悪くないかもしれない。


「あ、そうだ。ノエルの友達、名前は?」

狭間はざま 瑛斗えいと

「狭間だな。お前、この場所のこと口外すんなよ?」

「わかってるよ。ファンとして、困らせるようなことはしたくないし」

「……ほう。お前、私たちのファンなのか?」

「まだファン歴数ヶ月の新入りですが」


 僕がぺこりとお辞儀をして見せると、翠は顎に手を当てながら何度か頷き、いいことを思いついたとばかりにニヤリと笑った。


「ノエルは紫波崎に見つからないためにも、熱だって嘘をつくという意味でも、あまり外に出ない方がいいだろ?」

「うん、そうだね」

「あたしも仕事を代わる以上はそこそこ忙しくなる。そこでお前にノエルの世話を頼みたい」

「え、ここに泊まるのに?」

「のえるたそのためを思っても不満か?」

「いえ、ありがたいです」


 ノエルではなく『のえるたそ』と言ったあたり、翠はファンのことをよく理解している。

 ファンは数多いといえど、その名を聞いてひざまずかない者はいないし、抗おうという者は一人もいないのだ。


「世話と言っても、必要なものを買いに行ってもらうだけだけどな。ノエルも難しいものは頼んでやるなよ」

「どうせなら、瑛斗君もここに住んでもらう?」

「……アリだな。私は事務所の宿泊施設に泊まろう」

「どうして二人きりにしようとするの?」

「細かいことは気にするな、粋な計らいってやつだ」


 翠が何を言っているのかはよく分からないけれど、いくらなんでも僕までここにというのは無理がある。

 そもそもの住人を追い出してまでというのも心苦しいし、なんだか危険な陰謀の匂いもするし、何より帰らないと奈々ななが悲しむ。

 2週間ともなれば、彼女は僕の匂いを辿ってここに辿り着いてくるかもしれない。それがありえるかもと思ってしまうほど、奈々の執念はすごいからね。


「さすがにそれはお断りします」

「まあ、そうなるよな。ノエル、諦めろ」

「……ちっ」

「アイドルとして舌打ちは大丈夫なの?」

「今は女子高生のノエルだもん!」

「女子高生でも舌打ちはアウトだよ」


 しばらく不満そうに頬を膨れさせていたノエルは、「じゃあ、呼んだらなるはやで来てね?」という言葉に頷いてあげると嬉しそうに笑った。

 いやぁ、アイドルじゃないノエルでも『天使のようなスマイル』は変わらないね。癒されるよ。

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