第113話

 登校後、トイレに行って教室に戻ろうとしていた時のこと。

 最近、背後からの視線が気になる。凜音りんねが後をつけて来ているのだ。

 本人は上手く隠れていると思っているみたいだけれど、探偵ドラマじゃあるまいし。廊下のような場所でこそこそされると余計に目立つというもの。

 きっと、僕は風紀を乱しそうだと思われてるんだろう。僕ほど静かに生きている人間はそうそういないだろうに。


「ご、ごめん!大丈夫?」


 そんなことを思っていると、突然背後から声が聞こえてきた。サッと隠れた凜音が消えた方向に男子トイレの入口があることはさておき、廊下の中心で転んでいる女の子が視界に映る。

 腰まである銀色の髪に水色の瞳。細身の手や脚、肌は色白で顔も日本人離れしていた。外国の方だろうか。

 先程の声の主である男子生徒とぶつかったらしく、相手が謝りながら手を差し伸べたものの、彼女は真顔でただ落としたものを拾って去ってしまった。


「不思議な子だなぁ」


 思わずそんな言葉がこぼれる。転んでも謝られても、顔色一つ変えずに無表情のまま。まるでろうに固められた人形のような人だったから。


「こ、こいつ、なんでここにいるんだ?!」

「ち、違うんです!見つかりそうになって……」


 銀髪の女の子が去ったのとは反対の方向から、驚いたような声と震える声が聞こえてきた。

 振り返ってみると、凜音が先程の男子生徒にトイレから連れ出されていた。


「っ……あ、あの人が入れって……」

「え、僕?」

「そう、あなたです!」

「どうして僕がそんなことを頼むの?」

「そ、それは……弱みを握っているから……」


 弱み?ああ、奈々ななの持っていた記録映像のことかな。あれならとっくの前に消させたんだけど。

 でも、この話になると大人しくなるところを見るに、持っていることにした方が都合がいい気もする。うん、そうしよう。


「だから監視してたんだね」

「だって、いつ人に話すか分からないですし」

「それは安心して。切り札は取っておくものだから」

「い、いつかはばら撒くつもりじゃないですか!」


 凜音はこちらに駆け寄ってくると、「すぐに消してください!」と睨みつけてくる。もう消されてるものを消せと言われても、虚無を消すなんて出来ないけどね。


「なら、凜音が付き纏うのをやめてくれたら消すよ」

「そ、それは本当ですか?」

「僕は約束は守るよ」

「……分かりました、もう監視はやめます」

「うん、ありがとう」


 これで取引成立、僕も凜音もハッピーだね。人に見られるのは好きじゃないから、ようやく心の平穏を取り戻せたよ。


「あ、呼び捨てはやめてもらえます?せめて、凜音さんで」

「どうして?凜音でいいじゃん」

「さして親しくもない相手に呼び捨てなんて、失礼だとは思わないんですか?」

「男子トイレに入る女の子よりはマシだと思う」

「っ……わ、忘れてください!」

「僕が忘れても、彼が覚えてると思うよ?」


 僕がそう言って凜音を連れ出した男子生徒を指差すと、彼は「え、俺すか?!」と驚いたような声を出した。


「確かに、先にこちらを何とかする方が良さそうですね……」

「ひっ、ご、ごめんなさいぃぃ……」


 凜音の恐ろしさに腰を抜かした男子生徒は、尻もちをついたまま後ずさりする。しかし、すぐに捕えられると、引きずられるようにして連れていかれてしまった。


「自分を犠牲にして僕を助けてくれるなんて、彼はいい人だね」


 そう呟いて、僕は教室に向けて歩き出す。銀髪の女の子と言い、凜音の件と言い、あの男子生徒には女難の相が出てるんだろう。

 今度会ったら、いいお寺でも紹介してあげようかな。忘れさせられてなければいいけど。


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 昼休み、紅葉とどこでお昼を食べようかとさまよっているところで、ふと銀色の髪が目に留まった。あの時の女の子だ。

 俯いて歩いていた彼女はまた人にぶつかってしまい、手から離れたお弁当が地面に落ちて中身が散乱してしまった。

 彼女はそれでもなお、落ちたお弁当箱を見つめて無表情のまま呆然としている。

 ぶつかった相手は初めこそ謝っていたものの、反応がないことで気まずくなったのか、「ちゃんと前見ろよ!」と吐き捨ててどこかへ行ってしまった。


「僕、助けてくる」

「あ、ちょ……!」


 紅葉が関わるなと止めようとするも、僕はそれを振り切って女の子へと駆け寄る。

 彼女の側へしゃがむと、落ちた弁当の中身を拾って空になっている弁当箱へと戻していった。

「もったいなかったね」と言いながら全て入れ直すと、蓋を閉めて彼女へと手渡す。


「…………」


 女の子は小さく会釈すると、やはり何も言わずに立ち去ろうとする。が、僕はその手を掴んで引き止めた。


「お弁当、無くなっちゃったんでしょ?僕のを分けてあげるよ」

「…………」


 彼女は少しの間ボクを見つめていたけれど、やがて小さく首を横に振って見せる。いらないという意味らしい。

 でも、僕はここで手を離してはいけないような気がして、少しばかり強引に紅葉の座っているベンチへと彼女を引っ張っていった。


「僕のを半分あげる、紅葉からも分けてあげてよ」

「どうして私が……わ、わかったわよ!ほら、卵焼きときんぴらあげるからそんな目で見ないで!」

「…………」


 僕の弁当箱の蓋に紅葉が差し出したものを乗せ、僕の方からもご飯とウィンナー、人参のしりしりを追加して女の子に渡す。


「お箸は汚れてないよね。どうぞ、遠慮しないで食べて」

「…………」


 彼女はコクっと頷くと、お箸を手に持ってもぐもぐとそれらを食べ始める。食欲はあるみたいでよかったよ。

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