第112話

「この音声、綿雨先生との不純異性交友の証拠になりますよね?」


 凜音りんねはそう言って人差し指で机をコンコンと叩いた。まあ、改めて聞いてみるとそういう受け取り方がされそうではあるけれど―――――。


「これ、肩を揉んであげてただけだよ?」


 僕がそう教えてあげると、彼女は「……え?」という声を漏らして固まった。

 今思い出したけど、あの時、職員室から出ていった人が居たんだ。それが凜音だったのかもしれない。撮影されている角度からしても、音がした扉の近くみたいだし。


「……肩を?」

「うん、教科書代を忘れたから、立て替えておいてもらう代わりに頼まれたんだ」

「そ、そんなの嘘よ!作り話に決まってます!」

「疑うなら先生にも聞いてみてよ。同じことを言うはずだから」

「…………」


 何もやましい事がないから平然としている僕を見て、ようやく自分の勘違いに気がついたのだろう。

 彼女は肩をワナワナと震わせ、怯えたようなの口調で聞いてきた。


「こ、このこと……誰かに話しますか?」

「話さないよ、面倒だし」

「本当の本当に?」

「そう言われると話したくなるかも」

「うわぁぁぁぁぁっ!」


 よほど勘違いしてしまったことが恥ずかしいのだろう。ついには頭を抱えて机に突っ伏すと、ガンガンと額を何度かぶつけてから、「……痛い」と涙目で体を起こした。

 ようやく落ち着いてくれたのかと思った矢先、凜音はデバイスを何度が操作して僕らに見せつけてくる。


「そちらがその気なら、私もこれを拡散します!」

「うわっ、風紀委員として最低だよ……」


 奈々もこれにはさすがに渋い顔を見せた。僕も同感だ、風紀委員としても人間としても、絶対にやってはいけない行為だし。


「やられたらやり返す!それが世のことわりですから!」

「まだやってないけどね」

「聞こえない聞こえないっ!何を言われたって、拡散しちゃいますから!」


 自分を守るためなら嘘でもなんでもばらまく。正直、僕の1番苦手なタイプかもしれないよ。


「ほうほう、C級ですか」

「奈々、どうしてこんな時に凜音のプロフィール見てるの。お兄ちゃん泣いちゃうよ?」

「お兄ちゃん、こんな時だから見てるんだよ♪」


 奈々はそう言ってイスから立ち上がると、持っていたデバイスを机に叩きつけるようにして置いた。


「頭の良さはB級、顔はA級。警戒心が強く、何に対しても細すぎるせいで評価がマイナスされている。私からすればただの雑魚通り越して稚魚ですよ」

「っ……な、なんですか……?」

「ほら、また警戒しましたね。私はいいことを教えてあげようと思っているだけなのに」


 近づいてくる奈々を見て眉を八の字にする凜音。そんな彼女のそばで腰を少し屈めると、奈々は優しい口調で聞いた。


「私があなたを家に入れた理由、分かりますか?」

「……分からないですけど、それが何か?」

「人に不純異性交友だのと言っておいて、自分の犯した罪すら把握出来ていないとは……」


 奈々は呆れたようにため息をつくと、僕の方を見て「少しの間、耳を塞いでいてくれる?」とニッコリ微笑んだ。

 その笑顔がなんだか怖くて、言われるがまま耳に手を当てる。あたりは無音、奈々の表情は相変わらずにこやか。

 だけど、凜音の方はすぐに影が生まれ、奈々が数秒間デバイスの画面を見せると、やがて唇を震わせながら何かを言っていた。


「―――――――」


 奈々がもういいよの合図をしてくれたので、聴覚を解放する。おお、こうしてみると自然と聞こえる音って意外と大きいんだね。


「風紀委員さん?何か言うことがあるんじゃないですか?」

「あ、あの件は見逃してあげます」

「ん?あげます?」

「っ……見逃さてください!」


 怯えた様子でそう言い残すと、凜音は「し、失礼しました!」と逃げるように入ってきた窓から飛び出していってしまった。

 なんだか変わった人だったなぁ。


「これで万事解決だね!」

「奈々、あの人に何を言ったの?」

「え?それは……秘密かなぁ♪」

「気になるよ、教えて?」

「じゃあ、キスしてくれる?」

「急に気にならなくなったかも」


 妹とキスするくらいなら、気にならないよ。得るものの代わりに、失うものが大きすぎるだろうし。


「ふぇっ?! じゃあ、お風呂でいいから!」

「全く気にならないなぁ」

「なら、ハグは……?」

「うん、それならいいよ」


 僕は快く頷くと、奈々の華奢な体を優しく抱きしめる。こうしてみると、やっぱり大きくなったんだね。昔は抱えれるくらい小さかったのに。


「んん……これだけで満足かも……」

「なら、約束通りに教えてくれるんだよね?」

「仕方ないなぁ。『不法侵入で警察に突き出す』って言ってみただけだよ?」


 なるほど、確かに言われてみれば庭でも勝手に入るのは違法行為だもんね。でも、果たして本当にそれだけなのだろうか。


「奈々は賢いね」

「えへへ、なでなでまでされちゃった♪」


 その場では納得した振りをしたけれど、僕にはどうしてもその一言だけで、強気だった凜音があそこまで大人しくなるとは思えなかった。

 そもそも、不法侵入は証拠がなければ現行犯でしか罪に問えないだろう。それに、奈々が途中でデバイスを見せたことも気になるし。


「今度会ったら、何されたのか聞いてみようかな。答えてくれるかは分からないけど」


 その時の僕は、呑気にもそんなことを思っていた。

 その後、何者かによってリビングに仕掛けられた小型カメラと、凜音の姿が映った記録映像が奈々の部屋から見つかるまで、それほど時間はかからなかったという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る