第550話

 翌日、再度カバンの中身を確認した僕は、家中に響くインターホンの音を聞いて玄関へと向かった。

 そして、家の前に停っていた車のトランクへバッグを乗せると、見た目よりも広々とした車内へと入らせてもらう。


瑛斗えいと様、忘れ物はございませんか?」

「ちゃんと確認したので大丈夫です」

「そうですか、残念です」

「……残念?」

「はい。下着などの忘れ物があれば、こちらでレンタルという形を取らせていただけたのですが」

「使い終えたものは回収して、実験のサンプルにでも使うつもりですか?」

「いいえ、渡すとお嬢様が喜ばれます」

「僕の下着は餌じゃないですよ」

「餌ではなくとも、お嬢様は釣れます」


 何だか悪そうなことを言っているこの人が運転席にいることは若干恐怖ではあるが、急に崖に突っ込んだりはしないだろう。

 そんなことよりも、今は話題に出てきたお嬢様こと麗華れいかの姿が見当たらないことの方が不思議だった。


「麗華は一緒じゃないんですか?」

「お嬢様は旦那様と先に別荘へ向かわれました。お出迎えをする準備がしたいそうです」

「そんな、わざわざいいのに」

「あの場所へご友人を招くのは初めてですから、おそらく気を張られているのかと」

「でも、瑠海るうなさんは行ったことがあるんですよね?」

「もちろんです」

「だったら、友達が行くのは初めてじゃないですよ」

「……ふふ、あくまで私は102トウフですから」


 そんな会話をしつつ車を発進させた瑠海さんは、すぐ裏側に回って紅葉くれはを回収。

 ぐるりと住宅街を進んだ先で、仕事に行く直前のノエルに見送られるイヴを拾って、いざ別荘へ向けて出発だ。

 ところで、やっぱりノエルを迎えに来ていた紫波崎しばさきさんと瑠海さんには何かあるのかな。

 直感でしかないけれど、初めに顔を合わせた時に比べると、お互いに随分と視線が柔らかくなった気がするのだ。

 いや、まあ……紫波崎さんはサングラスをかけているから、実際は目元なんて見えないんだけどね。


「……助手席には誰も座らないのですか」

「紅葉、言われてるよ」

「私?! 普通、後から乗ったイヴちゃんに言うものじゃないの?」

「……」フリフリ


 後ろの席に3人座っておきながら、隣に人がいない運転というのは寂しいらしい。

 けれど、紅葉は今の場所がいいと主張するし、イヴも人差し指でバツを作ってアピールしている。

 仕方がないので動く気のある僕が助手席に行こうかと思ったものの、紅葉が「瑛斗が移動したら意味ないでしょうが」と止めてきたので、仕方なく上げかけた腰を下ろすことにした。


「すみません、運転してもらう側なのに」

「気にしないでください。若干、避けられているのかもしれないと感じただけですので」

「本当にそういう意図はないんです。というか、初めに僕が助手席に乗るべきでしたよね」


 確かに、紅葉の体が小さ……いや、車内が広いおかげで何とかなっているけれど、本来高校生が3人並んで座ると肩がぶつかるほど窮屈なはずだ。

 そんな場であるにも関わらず、自分だけ周りに人がいなければ、しっかり当たる暖房の風を虚しく感じてしまうのも無理はない。

 助手席に移動してあげることは出来ないけれど、ナイーヴな気持ちにさせない為にも、道中は沢山話しかけるようにしよう。

 そう心の中で頷いて、ミラー越しに見える瑠海さんの悲しげな表情を見つめる僕であった。


 一方その頃、ノエルはというと。

 大晦日の年越し歌番組の生放送へ出演するため、紫波崎さんの運転でテレビ局へと向かっていた彼女は、2列目の座席でぐったりと横になっていた。


「あの社長、どうして私たちをゲストに選ぶの……」

「ノエル様、笑顔ですよ笑顔」

「選ばれてなければ、今頃瑛斗くんとお出かけできてたのに。おまけに、よりにもよって生放送かよ」

「少々言葉遣いが荒れております、くれぐれもカメラの前ではお気をつけ下さい」

「はぁ。紫波崎、放送終わったら直行ね」

「そのように手配しております。ですが、おそらくファンの方々に囲まれて―――――――――」

「今日の私、瑛斗くん以外のファンに興味ないから。サインなんて1枚も書くつもりないよ?」

「……か、係りの者に出口を警備させておきます」


 やる気のなさとは裏腹に、アイドルらしからぬ発言とともに放たれた得体の知れない圧のようなものを受け、紫波崎さんのハンドルを握る手がほんの少しだけ震えたのだった。

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