第11話

「ん……あれ?」


 目を覚ますと、教室にいたはずのクラスメイトたちが見当たらなかった。

 確か5時間目が終わって、6時間目のホームルームが始まった辺りまでは起きていたけど、そこからウトウトしちゃって……。


瑛斗えいとさん、お目覚めですか?」

「あ、白銀しろかねさん。おはよう」

「おはようございます。もう夕方ですけどね」


 隣で頬杖をつきながら僕を見ていた白銀さんは、そう言って窓の外を指差した。確かに空がもうオレンジ色になりかけている。


「ずっとそこにいたの?」

「起きた時に瑛斗さんがひとりだと、寂しいかなと思ったので」

「僕はそんな子供じゃないよ」

「ふふっ、冗談ですよ。教室の鍵を返す場所が分からないだろうと思ったんです」


 ああ、なるほど。言われてみれば確かに知らない。それを教えるために残ってくれていたってことか。


「わざわざそのためだけに残ってくれたの?書き置きでもしてくれれば良かったのに」

「いえいえ、そのためだけじゃないですから」

「じゃあ、何か用事があったとか?」


 僕の言葉に首を横に振る白銀さん。彼女は頬に当てていた手をそっと離して姿勢を起こすと、夕日のオレンジに照らされながら優しく微笑んだ。


「瑛斗さんがあまりにも幸せそうな寝顔だったので、ずっと見ていたくなったんです」


 その声は、離れているはずなのに耳元で語りかけられているようなそんなくすぐったさを含んでいて、これがS級の魅力かと頷きたくなってしまう。

 そっと差し出された手が「よしよし♪」と僕の頭を撫でる。「気持ちよく眠れましたか?」と微笑む彼女は、間違いなく僕が今まで出会った女性の中で一番魅力的だった。

 優しくて、包容力があって、少し甘えたくなってしまう。今日初めて顔も名前も知った相手、しかも同級生にこんなことを言うのはおかしいと思う。

 でも、僕はこの気持ちを胸の奥にしまっておくことが出来なかった。


「白銀さんって、お母さんみたいだね」


 僕の言葉に、「そ、そうですか……?」と明らかな苦笑いをうかべる彼女。やっぱり年齢が2回りも上な人に例えるのは失礼だったかもしれない。


「変なこと言ってごめんね。優しくて、頼りになって、つい甘えたくなるところとか、僕のお母さんにすごく似てたから」

「や、優し……頼りに?あ、甘え……!?そ、そんなことないですよ!」


 褒めたつもりなのに、やっぱりお母さんというのが良くなかったのか、顔を真っ赤にした白銀さんにバシバシと肩を叩かれてしまった。

 それでも気持ちが収まらなかったのか、「ご、ごめんなさい!お先に失礼します!」とカバンを持って逃げるように出ていってしまう。

 結局、鍵の返し場所は聞いてないままなんだけどなぁ。


「ちょ、ちょっと!いきなり飛び出してこないでもらえる!?」

「ご、ごめんなさい!また明日!」

「え、あ、また明日……」


 そんな会話と遠ざかっていく足音が聞こえ、少しすると手に何かを持った紅葉が教室に入ってきた。


「あれ、紅葉も残ってたの?」

「ええ、まあ……私達一応友達じゃない?仕方ないから起きるまで待ってようかなぁ、なんて」

「友達ってそんな重いものじゃないと思うけど」

「し、仕方ないでしょ!?友達なんて初めてなんだから……」


 手に持ったそれを両手で握りながら、人差し指を突き合わせる彼女。

 今日一日で分かったのは、紅葉がこれをする時は照れてる時だということだ。彼女も彼女なりに友達としての付き合い方を学ぼうとしているのかもしれない。


「こ、これ!あなたが起きた時にあげようと思ってたの。F級には買えないやつだから、ありがたく飲みなさいよ!」


 彼女はそう言いながら、手に持っていたそれ……カップに入ったコーヒーを差し出してきた。自動販売機で売ってるやつだ。


「僕、苦いの無理なんだけど……」

「はぁ!? いいから飲みなさい!せっかく買ってきたのに、無駄足になるでしょ!」

「頑固だなぁ」


 なんて理不尽なんだろう。勝手に買ってきておいて、苦手なものを無理矢理押し付けてくるなんて。

 でも、確かにこのまま捨てるのももったいないか。

 自動販売機がこのコーヒーを注ぐのに使った電力に免じて今回は飲んであげるとしよう。


「……うっ、苦い……。ミルクも砂糖も入ってないの?」

「ええ、ブラックよ。コーヒーの味を楽しむならそれに限るもの」

「それなら紅葉が飲みなよ。僕はもう一口で満足したから」


 こんなの飲めたもんじゃない。大人の味だなんて言うけど、僕からしたらわざわざ苦いものを飲む理由がわからないし。

 人生も口に入るものも、苦いより甘い方が嬉しいはずなのだから。

 紅葉は僕が返したカップをしばらく見つめると、突然何かに気がついたように声を上げた。


「こんなの飲めるわけないでしょ!?」

「え、紅葉もコーヒー飲めないの?」

「飲めるわよ!でも、あなたが口をつけて……って、もういいわ!これは捨てて帰るから!」

「紅葉。コーヒー豆を作ってる人の気持ち、考えたことある?」

「……あなたがそれを言う?」


 呆れたような目で見られたけど、結局紅葉が全部飲み干してくれた。

 なんだかすごく口をつける位置を気にしてたけど……紅葉って潔癖症なのかな。

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