第603話

 あれから少しして、赤ずきんちゃんの頭巾だけを被った僕は紅葉くれはに渡された即席の台本に目を落としていた。

 彼女によると、この台本をやり切ったらこの部屋でくつろぐ権利を与えてくれるらしい。

 こんなことなら、僕も紅葉が来る度に恥ずかしいセリフでも言わせておけばよかった。心の中でそう思いつつ、渋々演じてあげることにする。

 そうでないと、今はどんな状況になっているか分からない我が家に今すぐ帰ることになるから。


「ワタシ、アカズキンチャン。キョウハオバアチャンニオトドケモノヲ―――――――――」

「はい、カットカット! やる気ないなら帰りなさい、大根役者にも程があるわよ」

「ソンナコトイワレテモ、アカズキンコマッチャウ」

「棒読みのくせに役になり切ってんじゃないわよ」

「あ、ごめんごめん。次はちゃんとやるから」

「次失敗したら、名乗る前にオオカミが食いかかるから覚えておきなさい」

「分かってるって」


 少しおふざけが過ぎたようで、紅葉は腕を組みながらこちらを鋭い目付きで睨んでいる。

 気分は舞台監督か何かなのだろう。赤ずきんちゃんをお顔真っ青ずきんちゃんにするわけにも行かないので、ここからは真面目に取り組むことにしよう。

 ……あ、お顔真っ青ずきんちゃんってちょっと面白いね。今度、このタイトルでも台本書いてもらおうかな。


「私赤ずきんちゃん、今日はおばあちゃんにパンとワインを持っていくようお母さんに頼まれたの」

「その調子よ」

「えっと……あ、ここか。でも、おばあちゃんがワインなんて飲むのかしら。亡くなったおじいちゃんは酒豪だったって聞いたけど」

「前から疑問だったのよね。ずっと布団で寝てることに疑問を持たれないおばあちゃんが、ワインなんて必要としないはずだもの」

「ものすごい二次創作してるね」

「そもそも、日本の赤ずきんちゃんが二次創作みたいなものよ。本物は子供向けじゃないんだから」


 紅葉はそう言いながら軽く身震いすると、「早く次よ」と僕を急かしてくる。

 今更だけれど、こんな台本を読ませて何がしたいんだろうね。そういう趣味があったのかな。


「あ、そうだ。向こうにお花畑があったはず。きっと花束を持っていったら喜んでくれるわ」

「健気な少女感が出てるわ、グッドよ」

「これと、これと、これも。うん、綺麗なお花さんばかり。こんにちは、ハチさん。お仕事中にごめんなさい。少しお邪魔させてね」

「やあ、赤ずきん。僕たちの分を残してくれれば構わないよ(裏声)」

「どうしたの、紅葉。急に変な声出して」

「ハチ役よ、ハチ役! そこ突っ込むところじゃないわ。ほら、赤ずきんの背後から大きな影が忍び寄ってるわよ」

「え、大きな影? ここには紅葉しかいないし、大きいものなんて―――――――――」

「今すぐ食べられたい?」

「……わあ、オオカミさんこんにちは」

「強引に逃げたわね。まあ、真面目にやるって言うなら見逃してあげるわ」


 紅葉はそう言いながら、どこからか持ってきたらしい猫耳カチューシャを装着すると、普段より少し低めの声で悪そうに笑った。


「はっはっは、こんにちは赤ずきん。こんなところで何をしているのかな」

「おばあちゃんのためにお花を摘んでるの。それからパンとワインも届けるわ」

「赤ずきんはいい子だね。俺のおばあちゃんはもう居ないから羨ましいよ、親も弟もみんな先に逝っちまった」

「いや、オオカミさん可哀想過ぎない?」

瑛斗えいと、知らないの? 最近は憎めない悪役が人気なのよ」

「二次創作し過ぎにも程があるよ。確かに、悪い奴に裏設定があるのは嫌いじゃないけどさ」

「ほら、次は赤ずきんの台詞よ」

「ああ、えっと―――――――――――」


 再び台本に視線を落とした僕が、まだ半分を過ぎてすらいないこのお話に、心の中でほんの少しだけため息をこぼしたのは自分だけの秘密。

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