第604話

 あれからしばらく話が進んで、物語の展開はベッドで寝ているおばあちゃんに扮したオオカミさんとのやり取りに差し掛かった。


「おばあちゃんの耳はどうしてそんなに大きいの?」

「お前の声を聞きやすいようにだよ」

「おばあちゃんの目はどうしてそんなに大きいの?」

「お前をよーく見るためだよ」

「おばあちゃんの手はどうしてそんなき大きいの?」

「お前をしっかり抱きしめるためだよ」


 この3つの質問の後、お口の大きさについて聞いたところで赤ずきんちゃんは食べられてしまう。

 けれど、チラッと視線を落とした台本にはまだもう少し続きがあって、どこからどう見てもすんなりと食べられる流れにはならなそうだった。


「えっと、おばあちゃん。どうして物価は上がったり下がったりするの?」

「それは需要と供給が日々変化するからだよ」

「高層タワーマンションって耐震性は大丈夫なの?」

「今の時代、耐震性の低いマンションは売れないさ。でも、何かあった時に最上階の人は逃げ遅れるだろうね」

「勇者のくせになまいきだって何?」

「魔王が勇者に言った言葉だねぇ」

「じゃあ――――――――」


 次の台詞を確認しようとしてページをめくった僕は、そこでピタリと手を止める。

 続きがあると思っていた場所には白紙が広がっているだけで、自分が言うべき何かは書かれていなかったのだ。

 これはつまり、ここからはアドリブで行けと言うことだろうか。僕は首を傾げながらこちらを見つめている紅葉を見て、そうなのだろうと思うことにした。何より早く終わらせたいからね。


「じゃあ、円周率の24桁目って何?」

「それは……って、分かるわけないでしょ。そんな台詞用意してないわよ」

「そもそも、台詞自体用意されてないよ」

「そんなはずはないわ。ちゃんと書いたもの」


 そう言われてもう一度確認してみると、白紙だと思っていたものの裏側にちゃんと書かれてあった。

 お口の大きさについて聞いて、ガブッと食べられてしまう急展開の赤ずきんちゃんが。

 つい先程まで世界観に合わない質問ばかりしていたと言うのに、まるでそんなことはなかったと言わんばかりの丸呑みである。

 ……それにしても、食べられると知っていながら質問をするというのは複雑な気持ちだね。ノベルゲームなら必ずルート分岐させるところだよ。


「おばあちゃんの口はどうしてそんなに大きいの?」

「それはね……お前を一口で食べるためだよ!」


 ベッドに寝転んでいた紅葉はガバッと起き上がると、僕に飛びかかってベッドの中へと引きずり込む。

 それからお腹の上に跨るようにして乗ると、悪い笑みを浮かべながら「がおー」と軽く爪を立ててきた。


「……えっと、もう台本が無いんだけど」

「ええ、この物語はここで終わりだもの」

「猟師さんが助けに来るものじゃないの?」

「最初に言ったでしょ。このお話に出てくるのは、私が演じるオオカミとあなたの演じる赤ずきんだけだって」

「ハチさんも居たけどね」

「あれは例外よ」


 彼女は続きの無い台本を僕の手から奪うと、それを床に放り投げてからこちらへ視線を戻す。

 確かに物語にはいつだって救いがあるわけじゃない。でも、猟師が来ない赤ずきんちゃんのストーリーはあまりに残酷だと思う。

 紅葉が描いているのは、そんな空白の続きではないようだけれど。


「ふふ、瑛斗えいとを食べちゃうわ」

「それはどういう意味で?」

「も、もちろん……身体で払ってもらうのよ!」

「何のために?」

「ここに居座る権利のために決まってるじゃない」

「じゃあ、赤ずきんちゃんは何だったの」

「余興よ、余興」


 余興……ということは、流れを作るためにやらされただけであって、直接ここまでスキップしても良かったということになる。

 そう思うと少し納得は出来ないけれど、体で払って欲しいというのならその願いを叶えてあげる方が手っ取り早いよね。


「分かった。僕の体を自由に使っていいよ」

「ほ、ほんと……?」

「しばらく紅葉のものになってあげる」

「えへへ、それじゃあ遠慮しないわよ?」


 にんまりと笑った紅葉は両腕を広げる。それはどこからどう見てもオオカミさんの襲い方ではない。

 僕はそんな姿を見てクスリとすると、同じく両腕を広げて倒れ込んでくる彼女の体を受け止めた。

 その後、僕たちはしばらくハグをし続けたことは言うまでもない。

 ……なるほど、この物語はオオカミと赤ずきんちゃんの純愛物だったらしいね。

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