第461話

 千聖ちさとさんは半分ほどメロンパンを食べ終えると、「少しの間、黙って聞いててもらえる?」と自分の身の上話を始める。

 話を聞くためにここにいる以上は遮るのも悪いので、僕は言われた通り口を閉じて耳を傾けることにした。

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 紺野こんの 千聖ちさとは昔から欲が無かった。何がしたい、何が欲しい、そんなことが何も分からず、周りに言われるがままに行動していた。

 そうして暮らしているうちについたあだ名は『真面目ちゃん』。決して悪口としての意味ではなく、親しみを込めた呼び方ではあった。

 しかし、小学校5年生になって少しした頃、彼女の中で『誰からも好かれ、誰からも頼られる自分』に疑問が生まれたのだ。


「どうして……私じゃなきゃいけないの?」


 始めて友達からの頼み事を断ったあの時、自分でも驚くほど声が震えていた。

 さすがに嫌われるかと怖くなったものの、友達は「いつも頼んでばかりでごめんね!」と素直に謝ってくれる。

 あれだけキツイ言い方をしたと言うのに、相手は嫌な顔ひとつしなかった。

 普通ならホッとするはずのこの瞬間、ずっと真面目の型にハマっていた彼女は、何故か悲しさを覚えたのである。


 千聖は中学生になれば真面目ちゃんから変われると思い、思い切って事ある毎に毒を吐くようにした。

 初めこそ胸の痛みに耐えながらではあったものの、気が付けば人を見下したような目も口調も上手くなっていて……。

 でも、何をしようと嫌ってはくれない。


 理科室の掃除中に「忙しい」と追い払えば、数分後に薬品同士の化学反応で爆発が発生。

 彼女は自分を犠牲にしてでもみんなを遠ざけたと勘違いされ、身に覚えのない理由で賞賛された。


 先生から頼まれたプリントを運びながら廊下にたむろする男子の背中を蹴り飛ばせば、彼がいた場所に野球ボールが飛んで来る。

 偶然だと言うのに、助けてくれたと勘違いされてものすごく感謝された。


 他にも強引な解釈で『良い人』だと思われたことは数え切れないほど。その全てが偶然、もはや奇跡と言っていい。

 そして紺野 千聖は不思議な力に守られたかのように、何をしても良い人にしかなれないまま高校生になったのだ。

 そして、春愁しゅんしゅう学園高校に入学した時、自分が恐ろしいまでの幸運体質であることを知った。

 同時にそれが何をしても好かれてしまう、いい子ちゃんから抜け出せない原因であるということも。

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「だからね、私は運気を下げるために色々試したんだ。北枕にして寝たり、部屋の家具を風水的に最悪の配置にしたり」

「えっと、効果あったんですか?」

「クラスメイトからは相変わらず『S級すげぇ』って目で見られてるし、モデル同士のいざこざにも巻き込まれたことはないかな」

「つまり、幸運なまま……?」

「そうでもない気がしたんだけどね。だって、瑛斗えいとっちが嫌ってくれたから」


 千聖さんが言うには、ようやく運気最悪の部屋が完成した頃に修学旅行があり、瑛斗や紅葉くれは麗華れいかから嫌われることが出来た。

 彼女にとってそれは自分が正当に評価されていると感じられる唯一の瞬間であり、部屋に帰ってからも興奮が収まらなかったらしい。

 ここまで話を聞いて、ようやく千聖さんのことが少しだけ理解できたよ。

 彼女は認められ過ぎたがために否定してもらいたくなってしまった歪んだ性癖の持ち主なんだね。

 わかりやすい言葉で表すと、悪口を言われたり罵られたりすると喜んでしまうマゾなのだ。


「だからね、もう一回ちーちゃんを嫌いになって」

「言われて出来ることじゃないよ」

「私にとって嫌ってくれる3人は貴重なの! このチャンスを逃すわけにはいかない!」

「そんなキラキラした目で言われても……」

「罵ってくれないなら、今ここでメロンパンを喉に詰まらせて死ぬよ?」

「それはダメだよ」

「なら、何をすればいいかわかるよね?」


 早くと急かすような視線を向けてくる千聖さんに、僕はゆっくりと深呼吸をして向き合う。

 僕は今から悪口を言うのだ。そして彼女を喜ばせる。悪いことをする訳では無いのに悪口とは、頭がこんがらがりそうだった。

 しかし、ショートしそうな思考回路を落ち着かせ、ようやく言ってやろうと息を吸い込んだ瞬間だった。


「は、狭間はざまくんが言わなくていい!」


 ものすごいスピードで走ってきた女子生徒、魅音みおんさんに口を塞がれてしまう。

 彼女は荒い呼吸を整えると、妹と正面から向き合いながら震える声で叫んだ。


「これは姉妹の問題、お姉ちゃんが解決する!」

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