第42話 水面に広がる波紋

 ノエルの蹴りで最後の一人がバタリと倒れる。彼女は腕で額の汗を拭うと、外れかけの包帯を外してポケットに押し込む。

 勇んだはいいもののまともに戦えず、ほぼほぼ守られているだけだった瑛斗えいとはと言うと、その光景を尻もちをつきながら眺めていた。

 彼は立ち上がって歩み寄ると、「大丈夫だった?」と微笑んでくれる彼女に頷いて見せる。


「ありがとう、ノエル」

「今の一部始終、ファンサってことにしといてね? アイドルが暴力って印象悪いから」

「生放送を抜け出してる時点で手遅れだと思うけど」

「まあ、そこはもう仕方ないかな。妹とファン、どっちが大事かなんて決まってるもん」

「一応聞いとくけど、どっちが大事?」

「断っ然、イヴちゃんに決まってる」


 ノエルがはっきりとそう言ったのを聞き届けたところで、陽斗はポケットの中のスマホを取り出して通話停止ボタンを押す。

 それを見せつけられた彼女は「……ん?」と困惑しながら、彼の背後でゆっくりと開かれた鉄の扉の方へと視線を向けた。

 暗闇の中から姿を現したのは、他でもない探していたイヴ本人。変装もしていない。

 彼女がパンパンと手を叩きながら「解散」と呟くと、倒れていたはずの男たちがそそくさと倉庫から出ていった。

 何故敵であるはずの彼らがイヴの言うことを聞くのか。それだけでは無い、いつの間にか瑛斗たちも彼女の背後に移動している。

 それはまるで初めから無事であったことを知っていたかのようで、訳が分からなかった。


「ノエルちゃん、ごめん。私、騙した」

「……どういうこと?」


 戸惑いながらも近付いてきたノエルは、イヴの視線が自分の背後へと向けられたのに気が付いて振り返る。

 焦っていて見えていなかったが、よくよく見てみれば倉庫内のあちこちにカメラが設置されているではないか。

 つまり、これまでの光景の全てを収められていたということ。

 けれど姉である彼女には分かる。それが妹の悪意故の仕打ちでは無いということが。


「……思い返してみれば、あの人たちを殴ってる感覚は無かった。あれは全部、やられてる演技だったからなんだね」

「その通りです。私がいくつもの事務所のツテを使って集めた優秀なスタントマンたちですから」

「あなたは確か同じ学年の……」

白銀しろかね麗子れいこです。こちらは私のメイドの102トウフ、以後お見知りおきを」

「そちらの小さい人は……」

「誰がチビよ。東條とうじょう紅葉くれは、瑛斗に頼まれて協力してあげたのよ」

「そうだったんだね」


 ノエルは小さく呟くと、瑛斗の方へと視線を向けて寂しげに微笑む。

 言葉こそ無いが、『全部嘘だったんだ』と言われているような気がした。


「イヴちゃんは、私のことが嫌い?」

「……」フリフリ

「だったらどうしてこんなことをしたの? 誰も得なんてしないし、迷惑をかけてるんだよ」

「……」


 ノエルの訴えはもっともだ。下手すればアイドルをやめなければならないほどの大事にもなりうることだから。

 それを行動に移すということは、それだけの意味があったはず。そう思って聞いたのだが、いつまで待っても答えは返ってこない。

 イヴは何かを言おうとしてはいるが、口を開けては閉じを繰り返すだけ。双子の自分にすら言えないことなのだろうか。

 それを、隣にいる狭間はざま瑛斗えいとという男には話したのに。


「イヴちゃん、ちゃんと教え――――――」

「僕が代わりに話すよ」


 信頼されていない。何でも話せる仲じゃない。裏切られたような気持ちが口からとび出そうになった時、彼が立ち塞がるようにしてノエルを止めた。

 その手は決して強くはなかったけれど、何故か押し返せずに後退ってしまう。


「イヴはね、全部知ってたんだよ。脅迫文のことも、事務所の社長が自分をその餌にしようとしていたことも」

「待って、あれはあなたたちが出したんじゃないの? てっきりそうなんだとばかり……」

「そんなわけないよ。だって、そんなことをしたら犯罪者になっちゃうんだから」

「じゃあ、どうして? 私も知らなかったのに」

「脅迫文が届いたのは事務所だけじゃなかったから。テレビ局にも同じものが送られたんだ」


 全ての計画はその『ほつれ』から生まれた。立場の違う二つの存在が、偶然にも水面下で反発し合ったおかげだ。

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