第35話 井の中の蛙、大海を知らず

「君は僕が憎いと思ってるの?」


 瑛斗えいとのその問いかけに、銀髪の少女はやはり答えない。けれど、彼女のこれまでの行動から大体予想は出来る。

 自分自身に恨みがあるのなら、潜伏期間を作らずに畳み掛ければいいだけの話。おそらく自由に動けなかったのだろう。

 そしてすぐに舌を噛み切ろうとした判断は、復讐をしようとする者の選択では無い。むしろ目の前に対象者がいるチャンスなのだから。

 つまり、これらの行動は全て銀髪の少女が誰かに雇われて動いていることを示し、彼女がそれ以外の動機を持ち合わせていないことを証明してくれている。


「だったら単純な話です。あなたはいくらで雇われたのですか」

「……」

「お嬢様のことですから、狭間はざま様のためとなれば倍額は出して下さるでしょう」


 お金で解決と言えば聞こえは悪いが、内的な動機である恨みつらみと違って、金銭的な動機はより良い条件を提示するだけで崩せる。

 その点で102トウフさんの提案は正しかった。が、口の中の布を外してもらった彼女の返答を聞いたこちらが目を丸くしてしまった。


「……2000円」

「は?」

「貰ってるお金、2000円」

「ふざけないで下さい。2000円で働く暗殺者がどこにいるというのですか」

「嘘じゃない」


 困惑する102トウフさんによれば、リスクの低い仕事ほど報酬は低くなるが、命を奪う以上最低数十万が妥当とのこと。

 何故そんな知識があるのかは分からないが、とにかく銀髪の少女の言う2000円がどれだけ安いかということはよく分かった。


「それは一件2000円ということですか?」

「違う。月2000円」

「まるでお小遣いじゃないですか」

「……?」


 彼女は不思議そうに首を傾げた後、「お小遣い、命令聞く」と独り言のように呟く。

 その姿はまるで何も知らない子供に見えて、背筋がゾッとする。

 まさかとは思うが、彼女はお金の価値や倫理を知らないのではないか。そういう考えが脳裏を過った。

 お小遣いを与えてくれる人の言うことは絶対。そんな世界で生きてきた人間はきっと、都合のいい操り人形であっただろう。

 何せ裏切るという選択自体を持ち合わせていないのだから。ノーリスクハイリターンとはまさにこのこと。

 気に食わない。そんな粗悪な条件で何も知らない女の子を騙して働かせるという性根に吐き気が込み上げてくる。


「君の雇い主は誰なの」

「……」

「君を守りたいんだよ。教えて欲しい」

「……雇い主、居ない」

「今更そんな嘘ついても無駄ですよ」

「嘘じゃない。私、暗殺者、違う」

「だったらどうして僕を狙ったの?」


 瑛斗の質問に答えるかどうか悩んだらしい銀髪の少女。しかし、目を見つめながら伝えた「お願いだよ」という言葉に後押しされたようだ。


「殺すつもり、無い。脅す、それが任務」

「……確かに、言われてみればいくらでも背中をとるチャンスはあったはずだよね」

「狭間瑛斗、S級に接触。ノエル、守る」

「僕をノエルに近付かせないようにってのが目的だったってこと?」


 確かに何も起こらずに日々が流れていれば、いずれはノエルに話しかけに行ったかもしれない。彼女もS級の女生徒だから。

 けれど、何故そこまでして防ごうとするのか。やはりスキャンダル禁止の輝くアイドル様だからだろうか。


「そのノエルさんを守るために君を動かしたのは誰? 自分で考えて行動した訳じゃないんだよね」

「……それは言えない」

「話してくれたら、絶対に力になるから。僕の一生を賭けたっていい」

「…………」


 彼女は震える瞳でこちらを見たかと思えば、突然身を捩り始めた。

 慌てて止めようとするも、話をしている間密かに背中側で手を動かしていたのだろう。

 床を蹴って空中へ浮かび上がった瞬間、回転して僅かに緩まった拘束から手足を抜く。

 そして目にも止まらぬ早さで縄を操ると、瑛斗のことをあっさりも捕えてしまった。


「まだ抵抗を……!」

「ステイ。私、腕を見せただけ。この縄は、狭間瑛斗、契約の証」

「……契約?」

「一生を賭ける。その言葉、本物?」

「本気だよ。見捨てられる性分じゃないからね」


 縛られてもなお変わらない瞳の色に、銀髪の少女は小さく頷いて手を離す。

 そして、瑛斗と102トウフさんの顔を順番に見た後、胸に手を当てながらこう言った。


「私、黄冬樹きふゆぎイヴ。事務所からの命令で、実行した」

「……事務所?」

「ノエル、所属してる」

「アイドル事務所ってことか」


 事務所とイヴになんの繋がりがあるのかは分からないが、少なくとも簡単に解決する話では無いことは間違いない。

 瑛斗は心の中でそう呟いて、大きなため息をひとつ零すのであった。

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