第506話

 翌日の昼頃、僕は綿雨わたあめ先生との約束通りに学校へとやってきていた。

 歩く時に周囲を見渡すタイプではないから気付かなかったけれど、街はもうクリスマスムードに染っていて、こちらもそれを見てようやくその実感が湧いてくる。

 ただ、学校に限っては冬休みだろうとクリスマスだろうと関係なく、いつもと変わらない佇まいでそこにあった。

 なんだか久しぶりに登校すると、慣れている場所のはずなのに背筋が伸びちゃうね。


「えっと、こっちかな」


 もう転入してからそれなりの時間が流れているけれど、先生からここへ向かって欲しいと伝えられた動物の飼育小屋がある場所の存在は初耳だった。

 敷地の隅の方にあるから生徒が足を運ぶことは無いとは思うけれど、先生や飼育員さんがいつもここまで来ていると思うと少し申し訳ないね。

 そんなことを思いながら、職員室の冷蔵庫から餌を取らないといけなかったことを思い出して振り返った僕は、その直後に思わず足を止めた。


「……よ、よお」

「あ、うん。久しぶりだね」


 いかにも忍び寄っていましたよと言わんばかりの格好で固まったバケツくんが、3mほど離れた場所に立っていたから。


「バケツくんも一日飼育委員になったの?」

「まあな。お前が来るって聞いて、それならなってもいいなって」

「僕が愛実あみさんだったら良かったのにね」

「親友と彼女を天秤にかけられるかっての」

「でも、狭い小屋に2人きりってシチュエーションには憧れるんじゃない?」

「……そりゃ、男だからな」


 少し控えめな声でそう言ったバケツくんは、すぐに人差し指を立てながら「男同士の秘密だぞ?!」と釘を刺してくる。

 もちろんこんなことをわざわざ報告するつもりは無いものの、ダメと言われると言いたくなっちゃうよね。さすがに今回は秘密にするけど。


「ところで、うさぎの世話って聞いてたけど、小屋の中にいるのってうさぎだけじゃないよね」

「聞いてないのか? 俺たちの学年は4クラスそれぞれが動物を飼育する予定だったらしいぞ」

「予定?」

「ああ。ただ、A組で飼育委員が現れず、どうするかって会議で動物飼育は恋愛格付制度に必要ないって判断されたらしい」

「それで先生たちが世話することになったと」

「その通りだ」


 僕の言葉に頷いてくれた彼は、動物たちの脱走防止柵に近付いてうさぎのいるエリアを覗き込む。。

 うさぎ小屋と聞くとかなり狭いイメージがあるだろうけれど、他に3種類の動物が仕切りの向こう側にいるから、建造物自体はかなり大きめだ。

 それにここにいるうさぎはアナウサギという種類らしく、所々に空いている穴の下には彼らの住処が広がっているだろう。

 何も無いシンプルな四角い場所のように思えて、見た目以上に生活スペースは広いはずだ。


「うさぎはみんな土の中みたいだな。知らない奴が来たから怯えてるんだろ」

「バケツくんが怖いのかな」

「なんで俺限定なんだよ」

「冗談だよ」

「内心傷付くからやめてくれ」


 バケツくんはこう見えて動物好きらしい。それなら確かに悪いことをしたなと思うけれど、僕も彼も怖がられていることは間違いない。

 うさぎは寂しいと死ぬという話はよく聞くが、だからと言って人がいれば落ち着くかと言われればそんなはずはない。

 相当慣れている相手でなければ警戒を解かないし、毎日餌を与えても撫でさせてくれるわけではない。

 というか、そもそもうさぎは寂しくても死なないからね。多分、寂しさに関しては人間の方が脆いよ。


「じゃ、俺は餌を取ってくる。先に掃除を始めといてくれ」

「分かった。2人だと早く終わりそうだね」

「ああ、ナイスなコンビネーションでパパッと済ませちまおうぜ!」


 グッと親指を立てながら後者の方へ向かっていく彼を見送り、言われた通りほうきとちりとりを持って小屋の中へと入る。

 どうでもいいけど、箒を持つとどうして無性にまたがりたくなるんだろう。

 そんなことを思いながら土の上に落ちている色々なものを集めて綺麗にしていると、ふと背後に人の気配を感じて振り返った。


「おかえり、早かったね……って、バケツくんじゃないのか」


 ダッシュで行って帰ってきてくれたのかと思ったが、立っていたのが女子生徒であることに気がついて首を傾げる。

 が、すぐに相手が知り合いであると認識すると、向こうも僕が誰なのか分かったようで、パッと笑顔を見せながら近付いて来ようとして脱走防止柵に膝をぶつけてその場にうずくまってしまった。


「うぅ、痛いです……」

「何やってるの、萌乃香ものか

「あ、あはは……うっかりしてました……」


 彼女がD組の一日飼育委員だということを知ったのは、彼女が痛みの引いた足で立てるようになった後のことである。

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