第537話

 ケーキよし、お菓子よし、ツリーよし。全てが順調に進む中、あと一つだけ終わっていないことがある。部屋の飾り付けだ。

 クリスマスツリーがあるからギリギリクリパ感は出ているが、ツリーの入らない画角に定点カメラを設置すれば、誕生日パーティーなのかクリスマスパーティなのか分からないだろう。

 参加者が認識していればそれでいいのかもしれないけれど、やっぱり僕は形から入るタイプだからね。

 数年前に一度しか使っていない飾りを物置から引っ張り出して、みんなで天井やら壁やらにせっせと取り付け始めた。


紅葉くれはは窓にジェルシールを貼ってくれる?」

「あ、これ懐かしいわね。小さい頃はよくお姉ちゃんとペタペタして遊んでたわ」

「へぇ」

「……何よ、その顔」

「いや、微笑ましいなって」

「私にだってそういう時期くらいあるわよ!」


 ぷいっと顔を背けて窓へと向かう紅葉を見送りつつ、僕は幼き頃の彼女たちが遊んでいる様子を想像してウンウンと頷いた。

 ちなみに、ジェルシールというのはアルゼンチンが発祥のガラスなどにデコレーションするゼリーみたいなものである。

 便利に可愛くできる一方で、長期間貼っていると太陽の熱で溶けて剥がれなくなったり溶けたりするため、使用する都度剥がすようにしようね。


「……?」

「いや、なんでもないよ。ちょっと脳内ウィキペディアに浸ってただけ」

「……」コク

「イヴは麗華れいかに飾りを渡してあげて。椅子から上り下りするのは面倒だろうし」

「……」コクコク


 ピシッと敬礼をしてから、トコトコと麗華の元へ駆け寄っていくイヴ。僕はそんな彼女の手元を見て、今度は心の中だけで首を傾げた。

 というのも、ジェルシールは最近ネイル業界にも進出したらしいのだ。付け爪やネイルシールと違い、柔らかい状態でつけた後にライトで硬化させるんだとか。

 その事実にどうして首を捻るのかって? それはもちろん、僕はネイルなしの爪の方が綺麗だと思う女心の分からない男だからだよ。

 ここでそんな発言をしたら、四方から睨みが飛んできそうだから絶対言わないけれど。


瑛斗えいとさん、椅子支えて貰えますか?」

「いいけど、大丈夫?」

「平気です! 私、高いところ苦手じゃないので!」

「そういうことじゃなくて、僕が付けた方がいいと思うんだけど」

「いえいえ。ケーキで活躍出来なかった分、こっちで取り返したいんです」


 そう言って差し出した飾りを受け取った萌乃香ものかは、意気揚々と細長く切って丸めた色紙を繋げた飾りを天井に貼り付けていく。

 だが、やっぱりやめておけば良かったのだ。僕が「イス移動させるよ」というのも聞かず、届きそうで届かない角っこに手を伸ばす彼女。

 ようやく貼れたと思った矢先、それまで耐えていたかかとがツルっと滑って落ちてしまった。


「うぅ、痛……くない? って、瑛斗さん大丈夫ですか?!」


 この言葉からもわかる通り、萌乃香は落ちたものの怪我をしなかった。だって、いざという時に支えようと手を伸ばしていた僕が下敷きになったから。

 それは良かったものの、計算外だったのは顔にのしかかってきた柔らかいものの圧である。

 例えるなら枕を押し付けられたような、新雪に埋もれたような、だけれど異様に温かくて心地いい。

 そんな悠長なことを思っている内に、呼吸ができないことに気がついて暴れたが、萌乃香も萌乃香でパニックになっているらしかった。


「……っ……っ!」

「す、すごく苦しそうです。どこか痛いですか?」

「…………」

「……瑛斗さん?」

「…………」

「え、瑛斗さんが動かなくなりました……」


 ただただ退いてくれればいいだけだと言うのに、ぐったりとした僕を見て涙目で抱きしめてくる。

 それを聞き付けたみんなが駆け寄ってきて引き離そうとするけれど、誰も彼女の見かけによらない怪力をどうにかすることが出来なかった。


(……ごめん、母さん。僕はここまでみたいだよ)


 酸欠の緊急アラームが鳴り響く暗闇の中、ゆっくりと遠のいていく意識。

 女子高生の胸で窒息死なんて、きっとネットで叩かれるんだろうな。羨ましいとか書き込んだやつ、全員森のくまさんに抱きしめられてしまえ。

 そんなことを考えながら、僕は思ったよりも短かった今世をそっと閉ざし――――――――。


「瑛斗、起きなさいっ!」


 ―――――――かけて、紅葉のみぞおちグーパンチで息を吹き返したのであった。

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