第538話

 危うく召されかけた僕は、紅葉くれは麗華れいか奈々かなからやけに心配された後、大人しくしているように言われてしまった。

 萌乃香ものかの面倒は紅葉と奈々が見てくれることになったけれど、やっぱりそこでも色々やらかしているらしい。

 壁に付けようとして、間にいた紅葉を胸で押し潰しそうになったり、服にくっついたセロハンテープを剥がそうとして、千切れたボタンが奈々の額目掛けて飛んだり。

 まあ、この程度の不幸なら可愛らしいものなのだろう。安全のためにとピンを使わない判断は正解だったね。


「って、もうこんな時間じゃない」

「ノエルさんのライブ、終わったんじゃないですか?」

「確か、直接車でこっちに向かうんじゃ……」

「急いだ方が良さそうだね」

「……」コクコク


 ノエルは参加するだけでいい。そう約束した手前、到着してもまだ準備中だなんて情けない姿は見せられない。

 多くのファンを笑顔にしてきた天使の手を煩わせるのは、僕の気持ちが許さなかった。

 だから、まだ少しフラっとする体を持ち上げ、ワタワタしている萌乃香から飾りを受け取って手際よく作業をしていく。

 反対側もこっちがやるべき範囲だったけれど、有難いことに麗華とイヴのペアが代わりにやってくれていた。

 おかげで飾り付けは何とか完成。あとはノエルが来るのを待つだけだ。


「WASSup?のライブ、録画してたんだ。暇だから見る?」

「……」コクコク

「イヴちゃんが見たいらしいから、私も一緒に見てあげる」

「たまにはアイドルを鑑賞するのも悪くないですね」


 すぐにテレビ前に駆けつけてきたイヴと、意外と肯定的な2人につられ、奈々と萌乃香も近くへとやって来る。

 本当ならライブも見に行きたかったけれど、人混みが得意じゃないからテレビで我慢しようと決めたのだ。

 野球と同じで、テレビで見る方が何だかんだ見やすい角度だったりするからね。


『みんなー! WASSup調子はどう?』


 お決まりの掛け声と共にステージへ上がったメンバ4人が自己紹介をする度に、それぞれを推しているファンたちが沸き上がる。

 僕も『のえるたそだよ!』の瞬間に立ち上がりそうになったけれど、紅葉と麗華に頭をグッと押さえられたから諦めたよ。

 それからライブなだけあって、グループで出した中でも特に人気な曲やソロ曲、パフォーマンスの披露なんかをやって時間が過ぎていく。

 こんな日だから道が混んでいるのかもしれない。予定より大幅に遅れているなと思った辺りで、画面の中のノエルがマイクを握ってステージ中央に立った。


『実は、ファンのみんなに重大発表があります』


 何万人もいる広い空間の中、スポットライトが彼女だけを照らしている。

 何やらしんみりとした表情を見て、僕もファンたちと一緒にまさかという反応をしてしまった。


『実は、私――――――――――――』


 重大発表でしんみり……アイドル相手にそこから連想できることはひとつしかない。

 その発表が間近に迫ったタイミングで、放送はCMに入ってしまった。おまけにいつの間にかインターホンが鳴っている。

 僕は大慌てで玄関へと駆けつけると、開けっ放しだったドアからおそるおそる覗いているノエルの腕を掴んで中へと引っ張りこんだ。そして。


「ねえ、重大発表のことなんだけど……」

「えへへ、驚いてくれた?」

「もちろん驚くよ。どうしてやめちゃうの」

「……ん?」

「……やめるんでしょ、アイドル」

「そんな発表してないよ?」


 そんなはずはない。だって、あれだけの雰囲気を演出しておいて、他にどんな発表をするというのか。

 そう混乱していると、今度はノエルが僕をリビングへ引っ張りこんで、録画をCM明け直後まで巻き戻してくれる。


『実は私……ここで新曲『BIRTH』を発表させてもらう予定だったのですが、都合により延期とさせていただきます』

「ね? 辞めるなんて言ってないよ」

「……なんだ、勘違いだったのか」

「それに、謝るから暗い雰囲気にしてるだけで、本当は私のせいじゃないのにって思ってたよ」

「あんまり聞きたくない裏の事情だね」

「その代わり、別の新曲を披露したから後で聞いて欲しいな♪」

「言われなくても聞くよ」


 ノエルはアイドルをやめないし、新曲が2つも増えるしで勘違いに反していいニュースしかないよ。

 ホッとしている様子を嬉しそうに見つめるノエルに、不機嫌そうながら今は手を出さないでおこうと静かにしている3人がいたことを、僕はまだ知らない。


「……」ジー

「イヴちゃん、いい子にしてた?」

「……」コクコク

「えらいね。うんうん、私も会いたかったよ!」

「……♪」

「んん、もう。可愛いんだから」

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