第177話

 夜、紅葉くれはの部屋にて。

 ベッドに紅葉、床に敷いた布団に瑛斗えいと奈々ななが寝ることになり、その準備を整えた頃。


「トイレ行ってくる。先に寝てていいよ」


 瑛斗がそう言い残して部屋から出ていくと、ベッドの上でゴロゴロしていた紅葉は、何かを思い出したように体を起こした。


「奈々ちゃん、気になってたことがあるのよ」

「何ですか?」


 兄のためにと布団を温めつつ、自分の匂いを付けようとしていた奈々も、彼女の言葉に不思議そうに首を傾げる。


黒木くろきさんって男なのよね?」

「先輩も知ってたんですね」

「ええ、偶然見ちゃったのよ」


 奈々が「え、見たんですか?」と引き気味に聞くと、紅葉は「別にアレを見たわけじゃないわよ?!」とワタワタと慌てた。


「先輩、初心うぶすぎません?」

「逆にあなたがおかしいのよ! 男の子の家に泊まるなんて……」

「それ、先輩が言います? お兄ちゃんも男ですよ」

「瑛斗は特別なのよ。何かするはずがないもの」

「私と一緒に寝ても、胸のひとつすら触ってくれませんからね」

「妹に手を出す兄はそうそう居ないわよ」


 紅葉は「ほんと、何もしてこない……」と少し俯いた後、「でも、黒木さんは違うでしょ?」と再び奈々の方を見る。


「黒木さんは女装こそすれど、普通の男の子じゃない。奈々ちゃんが襲われたら、まず勝ち目がないというか……」

「私、そんなに弱く見えます?」

「普通よりは強いわよ。でも、押さえつけられたら逃げられないでしょ」


 そう言いながら表情を曇らせる彼女に、奈々はにんまりと笑いながらベッドへ登ると、頬をむにむにと触り始めた。


「先輩ってそんな可愛い顔して、意外とむっつりなんですね?」

「べ、別にそういう訳じゃ……」

「カナはお兄ちゃんのことが好きなんです。私に興味はありませんから」

「ただの友達でも、男女ではそうなる可能性はあるんでしょ?」

「もちろん可能性はありますよ。でも、信頼してない人の家に私が泊まると思いますか?」


 自信満々に胸を張って見せる彼女からは、決して黒木 金糸雀が魔が差してしまうような人間ではないと、確信していることが感じ取れた。

 それでも、紅葉からすればあまりに不安定な材料で、いざ自分が同じ部屋で寝ろと言われれば、心配せざるを得ないだろう。


「安心出来る理由はそれだけじゃありませんよ」

「他にも何かあるの?」

「もちろんです」


 奈々はそう言いながら右手の親指と人差し指を立てると、「これがお兄ちゃんと私です」と説明し始めた。


「カナはお兄ちゃんが好きです。そして、カナと私は友達です。もし私がカナに酷いことをされれば、お兄ちゃんはどうしますか?」

「黒木さんを怒るわね」

「そうです。喧嘩程度なら仲裁で済みますけど、襲ったとなれば嫌いになるかもしれませんよね?」


 その言葉に「なるほど、瑛斗が常に心のストッパーになってるのね」と頷く紅葉。奈々はその通りだと頷きながら、布団の上にパタリと寝転がる。


「お兄ちゃんはいつでも愛する妹を守ってくれてるんです♪」

「……布団に頬ずりしないでもらえる?」

「いいじゃないですか、マーキングですよ」

「人の家のものにすることじゃないでしょうが」


 注意してもやめない奈々に紅葉が呆れていると、そこへトイレに行っていた瑛斗が戻ってきた。


「何の話してたの?」

「紅葉先輩がお兄ちゃんのこと嫌いだって」

「ちょっと、そんなこと一言も言ってないでしょ!」

「先輩が襲ってくる〜!」


 ニヤリと意地悪な笑みを浮かべる奈々に、怒った紅葉が飛びかかる。彼女はその小さな体で素早く奈々を取り押さえ、お仕置にお尻をペチペチと叩いた。

 奈々は何度も伝わってくる痛みに悩ましい声を漏らしつつ、涙目で兄に助けを求める。


「お、お兄ちゃん助けて!」

「紅葉、もっとやっていいよ」

「お兄ちゃん?!」

「ほら、鍵忘れたせいで迷惑かけてるし」


 あっさり見捨てられた奈々に、「いつでも守ってもらえてる、ねぇ?」と同情の眼差しを向ける紅葉。

 彼女は瑛斗から頼まれたことで、しっかりとしつけという名の教育を施すため、最後に大きく腕を振りかぶる。


「ま、待って……それはほんとに……」

「ふふ、あまり先輩を舐めたらダメよ?」

「ご、ごめんなさ――――――――――」


 ペシィィィィン!という音が部屋に響くと共に、ピタリと動かなくなる奈々。瑛斗はそんな彼女にそっと布団をかけ、優しく頭を撫でてあげるのだった。


「そういう所はお兄ちゃんね」

「紅葉もして欲しい?」

「どっちでもいいわ」

「じゃあ、僕がしたいからする」

「……初めからそう言いなさいよ」

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