第178話

 翌日の昼頃、学園長が家の鍵を持ってきてくれた。

 そのおかげで僕たちは無事家に帰ることができ、久しぶりの我が家の空気をめいっぱい鼻から吸い込む。


「やっぱりここだね」

「我が家が一番♪」


 奈々ななと2人で「おかえり」と「ただいま」を言い合った後、持ち帰ったサボテンくんをいつもの定位置に置いた。

 それから霧吹きで水やりをしていると、部屋に入ってきた奈々が後ろから手元を覗き込んでくる。


「そう言えばそのサボテン、前のお隣さんから貰ったんだっけ」

「それがどうかした?」

「お兄ちゃん、どうしてそんなに大切にしてるのかなって」


 言われてみれば、奈々に譲り受けた時のことを話したことがなかった気がする。

 確かにこのサボテンは、従兄弟との結婚を反対されて実家に連れ戻されたお隣のお姉さんから、『育てられなかったら捨てていい』と言われて渡されたものだ。でも―――――――。


「お隣さんが言ったんだ。『その子が私の帰りを待っていてくれたら、またここに戻って来れる気がする』って」

「……それって、捨てないでって言ってるのと同じなんじゃない?」

「僕もそう思ったよ。でも、恋愛感情が分からない僕には、お姉さんの願掛けをないがしろにする権利なんてないからさ」


 奈々はよく分からないという顔をしつつも、「お兄ちゃんがいいなら別にいいけど……」という言葉を残して部屋から出ていく。

 僕はその後ろ姿を見送ってからサボテンくんに向き直ると、最後のワンプッシュを吹きかけてあげた。


「特にサボテンくんを捨てる理由もないもんね」

『捨てたら人間への復讐を開始するぞ!(裏声)』

「まだその計画続いてたの?」

『植物が環境を破壊する人間を許すことは、今後絶対に有り得ない(裏声)』

「じゃあ、サボテンくんを捨てる訳には行かないね」

『今後も美味い水を頼むぜ(裏声)』


 一人二役でそんなやり取りをしていると、声を聞き付けた紅葉くれはが向かいのベランダに出てくる。


「またサボテンと話してたの? 好きね、それ」

「サボテンくんは生きてるからね」

「人類滅亡計画立ててるんでしょ? 危険人物じゃない」


 呆れた表情の彼女にすかさず『違う、危険植物だ!(裏声)』と文句を言うと、「どっちにしても消すべき存在には変わりないわ」と軽くあしらわれてしまった。


瑛斗えいと、あいつ怖い(裏声)』

「大丈夫だよ、紅葉はああ見えて優しいから」

「誰が怖そうな見た目よ!」

『あれでも怖くないのか?(裏声)』

「ごめん、本当は怖いんだ」

「……サボテン諸共粉砕してやろうかしら」


 物干し竿片手に乗り込んでこようとする紅葉を慌てて宥め、サボテンくんに謝らせる。

 紅葉なら本当にやりかねないのが怖い。奈々にあんな話をしたばかりなのに、サボテンくんを廃棄処分するわけにはいかないよ。


「……まあいいわ。それより瑛斗、来週の日曜日は空いてる?」

「逆に空いてないと思う?」

「そんなことで胸を張らないで」


 彼女は「こっちまで悲しくなるでしょ」と文句を言った後、「空いてるなら一緒に行くわよ」とチラシを見せてきた。


「夏祭り?」

「そう。ここ数年行ってなかったから、今年くらいは行こうかと思ったのよ」

「一人だと行きずらいもんね」

「さすが、よく分かってるじゃない」


 今でこそ麗華れいかやイヴ、ノエルたちが仲良くしてくれているけれど、僕が来るまでは紅葉もぼっちだったのだ。

 元ぼっち仲間同士、こうして何かと分かり合えることが多いのだ。そういうところも、紅葉と一緒にいて飽きない理由の一つかもしれないね。


「いいよ、僕も久しぶりにお祭りを見てみたいから」

「それなら決まりね」

「他に誰か誘う?」

「別にどっちでもいいけど、瑛斗はどうしたいの?」

「イヴには声をかけようかな。他のみんなと違って、自分から誘いに来るタイプじゃないし」

「確かにそうね、イヴちゃんは誘っておくわ」

「うん、よろしくね」


 僕たちは話がまとまると、「詳しいことはまた今度決めよう」とそれぞれの部屋へと戻る。

 そんな2人の隣の部屋で、姉と妹が密かに聞き耳を立てていたことに、二人が気付くことはなかった。


「夏祭り、ピンチだよ……」

「夏祭り、チャンスね♪」

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