第168話

「異性を好きになる条件って何だと思う?」


 紅葉くれはのその質問に、僕は無意識に首を傾げた。どうしてそんなことを聞くのか分からないし、どう答えるべきかも分からなかったから。


「僕には分からないよ」

「じゃあ、人を嫌いになる条件なら答えられるわよね?」

「まあ、それならね」


 中学の頃は、周りのほとんどの人間が嫌いだった。高校に入ってからも噂が一人歩きして、変に期待しては『期待はずれ』のレッテルを貼っていく人達が苦手だった。

 それを思い返してみれば、答えは案外簡単に見つかる。「僕は悪意のある人間が嫌いだよ」と答えると、紅葉は「同感ね」と頷いた。


「なら、その逆を考えるとどうなるのかしら」

「逆? 悪意のない人間ってこと?」

「まあ、正しくは好意を持っている人間ね」


 紅葉が言うには、自分を嫌う人間を嫌いになるのなら、好きだと思ってくれる相手を好きになるのではないか、ということらしい。

 でも、僕はどうしてもそう思えなかった。


「好意に応えられるなら、振られる人も破局するカップルもいないよ」

「そうね。人は相手の気持ちに同じだけの気持ちを返すことは出来ないわ」


 彼女は深く頷いた後、袋から取り出した入浴剤ボールを、浴槽の縁の上でコロコロと転がす。無邪気に遊んでいる姿は、本当に小学生くらいに見えるね。


「その結論が出た上でもう一度聞くわね。異性を好きになる条件って何だと思う?」

「話の流れ的に、同じだけの気持ちを返してくれることなのかな」

「いいえ、違うわ」


 ゆっくりと首を横に振った紅葉は、ぎゅっと両手で包み込んだ入浴剤ボールを僕に手渡した。

 そして、優しく微笑みながら告げる。


「同じだけの気持ちを返して欲しいと感じる相手を、人は好きになるのよ」


 どこか感情の込められているようなその言葉に、僕は入浴剤ボールを見つめたまましばらく考え込んでしまった。

 それから数十秒後、僕の思考回路がようやく彼女の言いたいことに思い至る。


「紅葉、好きな人が出来たの?」

「……まあ、そんなところね」


 照れたように目を逸らす紅葉。これはきっと本気だね。それならばと僕は湯から飛び出し、浴室の扉へと向かう。


「ちょっと、いきなりどうしたのよ」

「好きな人がいる女の子とお風呂なんて、相手さんに顔向けできないよ」


 付き合っている訳ではなくとも、S級の容姿を持つ紅葉から真剣にアタックされれば、普通の男子なら断る理由もないだろう。

 要するに、いづれ付き合うことは確定しているようなものなのだ。さすがに僕もそこにヒビを入れるようなことはしたくないよ。


「その相手、誰だと思ってるの?」

「S級に釣り合うくらいの人なんじゃないの?」

「……やっぱり伝わらないのね」

「ん? 今なんて言った?」

「気にすんなバカって言ったのよ。普段はデリカシーのかけらもないくせに」

「僕だって気遣いくらいできるよ」


 僕が「何だと思ってるの」と聞くと、彼女は「女子の気持ちを理解できないダメ男よ」と言ってべーっと舌を出されてしまった。

 おまけに腕を掴んでくると、「いいから入って」と湯の中に戻される。まあ、紅葉がいいと言うなら、僕も異論はないけど。


「もしも紅葉に彼氏が出来たら、僕はそっちとの時間を優先してもらいたいかな」

「どういう意味?」

「そのままだよ。朝も一緒に行くのは控えた方がいいだろうし、お昼だって彼氏さんと食べる方が楽しいでしょ?」

「それはそうでしょうけど……」


 何故か俯いてお湯を見つめる紅葉の頭に、入浴剤ボールをちょこんと乗せて「鏡餅だ」なんてやっていると、彼女はそれを手で跳ね除けてしまった。

 ボールはシャンプーの容器にぶつかると、ぽとんと落ちて床に転がる。見た目に反して意外と硬いらしい。


「紅葉?」


 何だか様子のおかしい彼女は、僕が名前を呼ぶと湯の揺れる音でさえ掻き消えてしまいそうなか細い声で呟いた。


「瑛斗は私と一緒にいるのが嫌なの?」

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