第419話

 水風船のエリアを出た頃には既にここにいる予定の時間を少し過ぎていて、僕たちは足早に更衣室へと戻り、髪を乾かして部屋に戻った。

 この後はすぐに夕食と例のイベントがあるからね。泳ぎや遊びがいい運動になったから、丁度の具合でお腹が空いてきた頃だよ。

 そんなことを思いながら自室のドアを開けると、何やら中から物音が聞こえてくる。

 バケツくんがいるから音がすること自体は問題じゃないけれど、小声で誰かとコソコソ話をしているのだ。


「……」


 2人部屋なのでもちろん他に誰かいるとすれば、他の部屋から連れてくるしかないわけで。

 怪しんだ僕は少しだけ開けたドアの隙間から中を覗き込むと、思わず言葉を失ってしまった。

 だって、中にいたのはバケツくんでも無ければ、他の生徒でもない。瑠海るうなさんと紫波崎しばさきさんだったから。


「……」

「……」


 二人が話していることはわかるけれど、その内容までは上手く聞き取れない。

 ただ、ベッドの上で瑠海さんが押し倒される形になっているところを見るに、あまり良くないタイミングで戻ってきてしまったのではないだろうか。

 僕はもう一度部屋から出て、数分後に戻ってこようと後ろ向きに歩き出すけれど、そう上手くいかないのが現実というもの。


 クシャッ


 うっかり落ちていたビニール袋を踏んでしまい、微かに音が出る。ドアも全開ではないし、普通ならこの程度の音は聞き逃すはずだった。

 ただ、目の前にいるのは普通の人間ではない。片や裏社会で暗躍する暗殺者、片や何でもこなす完璧エリートボディガードなのだから。


「……今のは何の音でしょう」

「私が確認してきます」


 そんな短い会話が終わるが早いか、一瞬のうちに僕の前には壁と見間違うほどの距離まで紫波崎さんが近付いてきていた。

 見下ろされると圧がすごくて、何の力も加わっていないというのに、その場で正座してしまいそうになる。

 別に僕は何も悪いことはしてないんだけどね。むしろ、人の部屋に勝手に入ってる2人が悪者なはずなんだけどなぁ……。


瑛斗えいと様、見てしまいましたか」

「……まあ、もちろん」

「勘違いしないでいただきたいのですが、何も私たちはいかがわしいことをしていたわけではございません」

「そうなんですか?」

「見ていただければ分かるかと」


 そう言われて部屋に踏み込んでみると、大の字になってベッドの上に寝転んでいる瑠海さんは、何故か両手首をロープのようなものでベッドに括り付けられていた。

 そしてそのすぐ横にはいくらかの女性用下着。どこからどう見てもいかがわしいことをしていた現場である。


「やってるじゃないですか」

「……男子高校生の想像力はすごいですね。私はただ、下着泥棒を捕獲したまでですよ」

「下着泥棒? 瑠海さんが?」

「はい。しかも、自らの主人から」


 紫波崎さんの話によると、事件が起きたのは万が一の時のためにホテルから素早くノエルたちを救出するために、ホテルの屋上から繋いだ簡易ジップラインを試し乗りしていた時のこと。

 ふと視界に入った窓に怪しい動きをする瑠海さんの姿が見え、慌ててベランダに着地してこっそり部屋を覗き込んでみたらしい。

 すると、彼女はあろうことか紅葉くれは愛実あみさんだけでなく、麗華れいかの下着までをこっそり持ち出そうとしていたんだとか。


『瑠海様、そのような行為はメイドとして有るまじきことなのでは?』

『……私にはこれが必要なんです』

『理由を聞かせてもらいたい』

『……特技の披露でお嬢様の下着を匂いだけで当てるという芸をするからですよ』

『そんなことは許されません』


 そんな会話をしているうちに紅葉たちが戻ってきてしまい、窓から逃げた瑠海さんをベランダ伝いに追いかけ、この部屋でようやく確保出来たという話みたいだね。

 色々とぶっ飛んでるから分かりづらいけど、とりあえず紫波崎さんが正しいことをしたことだけは間違いない。


「ていうか、麗華の下着を匂いだけで当てられるってどういうことですか」

「私は鼻がいいので。お望みでしたら、目の前でやってみせましょうか?」

「……いや、結構です」


 その後、紫波崎さんに頼んでもう少し拘束をキツめにしてもらったことは言うまでもない。

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