第17話 小さな違和に後ろ髪を掴まれた

 勉強会から少しして、待ちに待ったテスト期間がやってきた。

 紅葉くれは麗子れいこのおかげで課題が早く終わり、その分を復習に充てられたからだろうか。

 終わってからの感想としては、かなり手応えがあると自信を持って言えるほど。

 そして放課後、紅葉には教室で待っていてもらい、机の上にカバンを置いたままどこかへ行ってしまった麗子にお礼を伝えようと瑛斗えいとは廊下を歩き回っていた。


「あ、麗子」


 そしてようやく学園長室から出てきたばかりの姿を見つけて駆け寄ると、彼女は何やら不思議そうな顔でこちらを振り返り、すぐにいつもの笑顔を見せてくれる。


「ご機嫌よう」

「あれ、そんな挨拶してたっけ」

「え、あ、そういう気分なだけです」

「そうなんだ。それより、この前はありがとう」

「……この前?」

「ほら、勉強を教えてくれたこと」

「ああー、はいはい。懐かしいですね」

「つい最近だよ?」

「そういう気分なだけです」


 気の所為かもしれないが、麗子の雰囲気がいつもと違っているような気がする。

 今日はあまり機嫌のいい日では無いのだろうか。それとも、学園長からお叱りを受けてしょんぼりしているとかかもしれない。

 それだけならいいのだが、頭のいい彼女が勉強会のことを忘れていたというのも引っかかる。

 瑛斗としては楽しんでもらえたと思っていたが、記憶に残らない程度だったというのなら頷けなくもないけれど。


「ねえ、麗子」

「なんでしょう」

「僕の名前って分かる?」

「…………」

「そっか、分からないか」


 麗子は友人が多い。自分もその中の一人に過ぎなくて、名前なんて記号は心に留めておくのも煩わしい。

 そういうタイプだったのだろうと割り切れれば気にすることもないのだが、彼にはどうしても初めて自分を名前で呼んだ時のキョトンとした表情が忘れられなかった。

 まるで以前から呼び馴染んでいたかのように、それでいて新鮮で。けれど二度目からは真っ直ぐな声で嬉しそうに。

 だが、それらも全てはその場における最善のコミュニケーションを選んだ結果に過ぎなかったのだろうか。

 そんな考えが過ぎると、これ以上話を深堀りするのも躊躇われて、瑛斗は麗子に手を振って別れていた。


「瑛斗クン」


 突然背後から名前を呼ばれ、零れそうになっていたため息は情けない返事として漏れる。

 一体誰だと振り返ってみると、学園長室の扉の隙間からこまねいている手が伸びているのが見えた。

 もちろんその腕の先にいるのは学園長……もとい瑛斗の叔父さんだ。

 そう言えば、麗子はこの部屋から出てきたはず。何か事情を知っているかもしれない。

 そう思って学園長室へ入らせてもらうと、叔父さんは「よく来てくれたね」と麗子が使ったであろうティーカップを片付けながら言った。


「偶然ですけど」

「それはどうかな。もしかすると、誰かが君をここへいざなったのかもしれない」

「そんなことありえますか?」

「さあ、それは誘った本人にしか分からないことだろうね」


 彼は意味深な笑みを浮かべながらソファーに腰を下ろすと、余っているお茶菓子を差し出して座るように目配せする。

 紅葉を待たせている手前、あまり長居するわけにはいかないが、わざわざ招き入れたということは何か大切な話かもしれない。

 そう思って言われるがまま座ると、学園長は麗子と面談をしていたのだと教えてくれた。

 テスト期間のこの時期に面談とはおかしい気がするが、叔父さんの考えることはいつもよく分からないので特に気にしない。

 ただ、その次の一言はそうは行かなかった。


「彼女は不思議な子だ。昨日、私と挨拶をしたことを覚えていなかった」


 覚えていない。それは瑛斗の胸にも引っかかっているワードだ。

 偶然だと思い込もうとしていたが、他の人に対してもそうなら考えが変わってくる。

 麗子は単に忘れている訳では無いのでは無いだろうか。生まれつき記憶喪失になる体質だとか、もしくは――――――――――。


「瑛斗クン、デバイスを確認してみたらどうかな? 何か分かるかもしれないよ」


 学園長にそう促されて開いてみた彼は、通知欄を見て首を傾げた。

 確かにあの時、瑛斗は『僕の名前って分かる?』と質問に答えるようリクエストしたはず。

 つまり、麗子に対してアクションを起こした判定になっているはずなのだ。

 それなのに何故か通知がない。ポイントを支払った形跡がどこにもないのである。


「まさか……」


 この情報を得た今、想定出来る可能性はひとつに絞られてしまったと言っても過言ではなかった。

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