第50話 エンギの神様

 引き受けた以上、瑛斗えいとは約束を破らない主義の人間だ。

 必要な嘘ならいくらでも吐くが、決して裏切るようなことはしない。だって、裏切りとはそれ即ち終わりを意味するから。

 武器を取り出すのは向こうが刃を向けてからでいい。それくらい分かりやすくなければ、躊躇いもなく切れないだろうし。

 彼は心の中でそんなことを呟きつつ、制作陣の方から受けた説明を台本に書き込む。

 そう、今日はこの前ノエルに頼まれた代役の撮影をする日なのだ。


「あとは台本通りにセリフを言うだけなので、気楽にやっちゃって下さい!」


 それにしても、このアシスタントさんらしき人の説明はやたらと分かりづらい。

 移動の時は「どわぁーっと行って」なんて言うし、迫力が必要なシーンのことを「ドカドカドカって感じで!」と言う。

 何とか読み取れているからいいが、子役にもこんな説明をしたら可愛らしく首を傾げられてしまうに決まっている。

 いや、待てよ。演者に割り当てられる担当はこの人だけでは無いはず。

 事務所に関係がない一般人だからと、ハズレを引かされたのでは? アシスタントさんの話を聞いていると、そんな疑いさえ芽生えてきた。


「ご質問は?」

「大丈夫です」

「OKです! じゃ、ドバドバっと行きましょう!」

「……あ、はい」


 まさかとは思うが、やたら擬音を入れる話し方が流行っているのだろうか。世間のことに目を向けていないから知らないだけで。

 よくよく考えてみれば、普段瑛斗の周りにいるのは周囲と関わらない紅葉くれはと、お嬢様な麗華れいかだけ。

 たまに顔を出すイヴは基本ジェスチャーで伝えて滅多に言葉を発さないし、ノエルもアイドルらしい分かりやすい話し方をする。

 周囲に流行を教えてくれる人間が居ないから、世界の変遷に気が付かなかったのかもしれない。これは大きな穴を見落としてしまった。

 そうなのではあれば、今のうちに覚えておくべきだろうか。S級女生徒の中には、流行を知らない人間を拒絶する者もいるかもしれないから。


「えっと、ジャンジャンやってきます」

「何言ってんすか」

「……なぜだ」


 流行りに呑まれるのは病だけで十分。そう思うことにして、振り絞った勇気のことは忘れることにする瑛斗。


「皆様、スタンバイお願いします!」


 その声を聞いて彼もカメラの前へと移動すると、同じくやってきたノエルが手を振ってくれたのを見て小さく振り返す。

 場面は夜の公園にて、瑛斗演じる彼氏役・時雨しぐれが、ノエル演じるヒロイン・ゆきを振るところ。

 彼の隣にはノエルの後輩だという女の子が立っていて、その子演じるヒロインの友人・朝陽あさひに彼氏を奪われたという設定だ。

 これはヒロインがその事実を目の当たりにし、崩れ落ちる絶望的なシーン。

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「時雨、どういうことなの?!」

「悪いな、雪。飽きたわ」

「飽きたって……私に悪いところがあったの? なら教えてくれたら―――――――――」

「そういうところが鬱陶しいんだよ」


 縋るようにしがみついてくる雪を、時雨は面倒くさそうに振り払う。

 彼女の体は後ろへとよろけ、水溜まりの上に尻もちをついてしまった。


「雪、いい加減諦めたら? あんたより私の方が時雨のお気に召したってことよ」

「朝陽、あなたいつから……」

「初めっから。あんたの惚気を聞きながら、いつかこうしてやるって思ってたの」


 朝陽は手に取った水のペットボトルを開けると、中身を雪の頭にぶちまけ、空になったそれを放り捨てる。


「わかっただろ、雪。お前はもう用無しだ」

「そ、そんな……も、もう一回だけ!」

「……そういうところが寒いんだよ」

「っ……」


 汚れた手で掴まれ、足裏で押し返すようにして蹴る。転んだ雪は全身泥だらけ。

 そんな様子を見ながら、時雨と朝陽は滑稽そうに笑って立ち去っていく。


「……」


 仰向けのまま堪え切れずに流した悔し涙を、突然の雨が隠してくれる。

 せっかくのオシャレも汚れてしまった。きっと、心と体もとっくの昔に。


「……見返してやる」


 雪は決意する。時雨が振り返るような女の子になって、必ず復讐してやると。

 これは裏切られ続けた一人の女の子が、復習を果たしていく爽快ストーリーである。

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