第170話

 結局、あれから紅葉くれははお姉さんを家に入れてあげていた。何だかんだ風邪引いたりするのが心配だったんだろうね。


「じゃあ、そろそろ寝るわよ」

「電気消すね?」

「ええ、お願い」


 ようやく訪れた睡眠タイム。スイッチをパチッと押して部屋を真っ暗にしてから、僕はベッドの隣に用意してもらった布団へと入る。

 長い車旅で疲れていたこともあって、眠気はすぐにやってきたのだけれど、完全に寝落ちる前に名前を呼ばれて目が冴えてしまった。


瑛斗えいと、まだ起きてる?」

「起きてるよ」

「そう」


 それ以上何も言わない辺り、単に確認しただけらしい。もしかすると、僕より後に寝たいのかな?無防備な姿を晒したくないのかもしれない。

 僕はきっとそうだと心の中で頷くと、なるべく早く寝てあげる為にもう一度まぶたを下ろす。


「……ねえ、瑛斗?」

「―――――」

「もう寝たの?」

「起きてるよ」

「そ、そっか……」


 なんだろう、そんなに早く寝て欲しい理由でもあるのかな? 急かされると寝れないし、次は寝たフリをして安心させてあげよう。

 僕がそう決めてから数分後、あえて寝息っぽく呼吸をしていると、案の定紅葉がまた確認をしてきた。


「寝てる、わよね?」

「すぅ……すぅ……」


 僕の名演技に上手く騙された彼女は、ホッとため息をつくとそのまま眠りに――――――――落ちることはなく、何故かベッドから降りてくる。

 どうしたのかとこっそり様子を伺ってみると、紅葉は忍び足で電気のスイッチに近付くと、何度か押してダウンライトを付けた。


「もう、真っ暗じゃ寝れないのに……」

「付けたままがいいなら言ってよ」

「ひっ?! お、起きてたの?!」

「ごめん、早く寝て欲しいのかと思ったから」


 僕の言葉に、オレンジ色の明かりに照らされた顔が、恥ずかしそうにそっぽを向いてしまう。


「紅葉、暗いの苦手なの?」

「……何か悪い?」

「ううん、可愛らしいなって」

「かわっ?! そういうこと軽々しく言わないで!」


 何故か怒られてしまった。本心からそう思ってるから、軽々しく言ったわけじゃないんだけどなぁ。


「とにかく、私はこれじゃないと寝れないから」

「僕、真っ暗じゃないと寝れない派なんだけど」

「布団でも被ってなさいよ」

「それだと息苦しくなっちゃう」

「文句が多いわね……」


 呆れたようにそう言った紅葉。僕はそんな彼女に、いいアイデアが思い付いたと提案してあげることにした。


「そう言えば、一緒に寝ると安心するって言ってたよね」

「それがどうしたのよ」

「安心すれば、暗くても寝れるんじゃない?」

「はぁ?! な、何言って……」


 「絶対に無理!」と反対する紅葉だけれど、うっすらと見えるその表情は満更でも無さそうだ。きっと僕に悪いからと遠慮してくれてるんだね。


「試しに寝てみようよ。無理だったら戻るから」

「あ、ちょっと……もう!」


 電気を消してから無理矢理ベッドに入ると、初めこそ抵抗していた彼女も、次第に肩を押してくる手の力を弱めていく。

 最終的には「……バカ」とだけ言って、それ以降は何もしてこなくなった。


「ちょっと狭いね」

「悪かったわね、ベッドが小さくて!」

「あの時の更衣室のベンチと同じくらいかな」

「お、思い出させないで……」


 その言葉に俯いてしまった紅葉は、「うぅ……」と短く唸ると服をぎゅっと掴んでくる。

 僕が「まだ怖いの?」と聞くと、彼女は小さく首を横に振ってから、消え入りそうな声で「安心、するかも」と呟いた。


「僕は安心しないかな」

「えっ、どうしてよ」

「だって―――――――――」


 答えようとした瞬間、ベッドの縁で体重が後ろ側に傾いた僕は、反射的に紅葉の体に腕を回した。

 ほとんどなかった距離がゼロにまで縮まったことで、自分よりも少し高めな彼女の体温がより伝わってくるようになる。


「―――――もっと近付かないと落ちちゃうから」

「っ……し、仕方ないわね……」


 僕の身を案じてか、紅葉からもぎゅっと抱きついてくれる。身長差のせいで腕がちゃんと回ってないけど、それを言ったら怒られそうだからやめておこう。


「ねえ、瑛斗」

「なに?」

「異性を好きになる条件、もうひとつあったわ」


 彼女は鋭さの抜けた優しい瞳でこちらを見上げると、「教えてくれる?」という僕の言葉に満足げな表情で頷いて――――――――――――。


「一番距離が近い人よ、心のね」


 心底嬉しそうに笑ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る