第444話

「どうして更衣室に?」

「今の時間はちょうど誰も使ってなくてね」

「……あの、女装しても心は男ですからね?」

「何を勘違いされてるのかは知らないけど、今度は私欲は無関係だから安心してよ」

「さっきのは本当に私欲だったんですね」

「まあね」


 どうやら『誰もいない更衣室に女装男子と二人きり』なんてシチュエーションで変なことを想像したのは僕だけらしい。

 先輩は女子更衣室の入口の前でストップウォッチを握ると、僕に体操服を手渡しながらテストの内容を教えてくれた。


「体操服に着替えて出てくるまでの時間を測るんだ。5分以内に出来れば問題ないかな」

「脱ぎやすさのテストなんですね」

「その通り。ある意味脱がせやすさのテストでもあるんだけど」

「何を想像してるんですか」

「思春期の男子にとっては大切なことだよ」

「この制服、主に女装男子が着るんですよね?」

「場合によってはそっちもアリかなって」

「……早くテストを始めましょう」


 話せば話すほど自分にとって危険な人物に見えてくるので、この優しい笑顔が豹変する前にさっさと終わらせて男子用制服姿に戻ろう。

 僕はそう心の中で呟いて準備の態勢に入るが、よく考えてみなくても目の前にあるのは女子更衣室の扉だ。

 このまま突っ走れば、男子である僕は見つかり次第ド変態扱いされるわけだけれど。


「さっきも言ったでしょ。この時間は他に誰もいないはずだから、安心して女子更衣室に入れるって」

「それなら男子更衣室でも良くないですか?」

「万が一途中で誰か入ってきたら、危険な目に遭うのは瑛斗えいとくんだと思うけど」

「女子更衣室でも危険ですよ。男だとバレたら色んな意味で殺されます」

「そっちは心配ないって。女子だと言い張れば誤魔化せるくらい可愛いし」

「……そこまで言うなら責任取ってくださいね」

「失敗した時は嫁にもらってあげる」

「そういう意味の責任じゃないです」


 不安な気持ちを抱えたままではあるものの、馬越うまごし先輩の言葉を信じて更衣室へ踏み込む僕。

 こんなところに入るのは、転入したての頃に紅葉くれはとロッカーに隠れた時以来だろう。

 あの時は何も感じなかったけれど、本来は今みたいに少しくらいは緊張するものなんだね。まあ、一生理解したくなかったというのが本音だけどさ。


「そうだ、早く着替えないと」


 本来の目的を忘れるところだったと、ベンチの上に体操服を置いてシャツのボタンを外し始める。

 しかし、問題が発生したのは全てのボタンを外し終わってから、脱ごうと肩を出した直後だった。


瑛斗えいと先輩、何やってるの〜?」


 いつの間にか背後に忍び寄っていた何者かの吐息が首筋を撫でる。

 普段なら何でもないはずだと言うのに、シチュエーションがシチュエーションなだけに、柄にもなく声を出して驚いてしまった。


「おわっ……って、カナ?」

「やっぱり先輩だ〜♪」


 そう言いながらニコニコと嬉しそうに笑うのは、何かのユニフォームを着た黒木くろき 金糸雀かなりあ

 会うのが久しぶり過ぎて声だけではわからなかったけれど、僕の中学からの後輩で女装男子の彼に間違いない。


「先輩も女装始めたんだ〜?」

「違うよ。手芸部が作った女装男子向けの制服のテストを手伝ってるだけ」

「へえ、それは私にピッタリだね」

「カナは女の子ってことになってるんだから、この依頼は受けられないけど」

「確かに! まあ、女装してる先輩が見れたから、脱ぎたてパンツをプレゼントしてもお釣りが来るくらい得しちゃったなぁ〜♪」

「そう言いながら脱ごうとしなくていいよ」


 ユニフォームのズボンに手をかける彼を止め、「とにかく、僕がここにいたことは秘密ね」と人差し指を唇に当てながらお願いする。

 しかし、ニンマリと口元を歪ませたカナは突然僕の前に回り込んでくると、これ見よがしに体を引っ付けながら上目遣いで見上げてきた。


「秘密を守らせるなら、先輩も代償を払わないとだよね?」

「代償……?」

「女装してることと、女子更衣室に入ったこと。後輩に2つも秘密を背負わせるんだもん」


 彼は「だから……」と言って瞳を怪しく細める。

 それから女としてのカナではなく、男としての口調に切り替えると、舌なめずりをしながら背伸びをして顔を近付けた。


「先輩、物理的に口封じして下さいよ」


 主張するかのように突き出された唇に、僕がどうすれば良いのかと躊躇ってしまったことは言うまでもない。

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