第535話

 これまでの経緯を聞いた麗華れいかは、納得したように頷いて暴走する母さんのことを宥めてくれた。

 二人は以前から面識があったらしく、仕事を通してお互いを知っていたからこそ、突然あんな質問を投げかけたらしい。


「HIFUMIさん……いえ、お母様のお気持ちはありがたいのですが、私は瑛斗えいとさんの気持ちが決まるまでは待つつもりですので」

「……そう?」

「はい。東條とうじょうさんとも正々堂々と戦って、実力で瑛斗さんを自分のものにしてみせます!」

「なんだかお節介を焼いちゃったみたいね。だけど、どうしようもない時は私を頼るのよ?」

「その切り札、使うことの無いよう尽力します」

「ふふ、さすが私の見込んだ子ね」


 母さんは嬉しそうに笑うと、今度は紅葉の方へと顔を向ける。彼女は麗華と違ってあまり応援されていないらしいけれど、初対面で嫌っているわけではないのだろう。

 「息子が選んだ相手なら文句は言わないわ。あなたも頑張りなさいね」と声をかけると、カバンを持ってリビングを後にしようとする。


「母さん、ケーキ食べていかないの?」

「娘と息子の顔を見に来ただけだもの。たまには写真付きでメッセージでも寄越しなさいよ」

「まあ、気が向いたらね」

「我が息子ながら頼りないわね。でも、いい男には成長してるみたいで良かったわ」

「それはどうかな」

「成長なんて自分じゃ分からないものよ。だから、人は必要以上に努力するの」

「名言みたいに言われても響かないよ」


 最後はこちらを振り返ることなく、片手だけを振って去っていく。

 相変わらず過保護の正反対な親というか、奈々ななが引き篭った時もそうだった。

 お世話やケアは全部僕に任せて、自分は相変わらず仕事にのめり込んで。でも、結果的にはそれが一番の近道だったのかもしれない。

 昔から何でもお見通しなのだ、あの母親には。


「じゃあ、そろそろケーキにクリームとフルーツを乗せちゃおうか」

「そうね。ピリッとした空気は甘いもので緩和するに限るわ」

「私にとっては甘々でしたけどね♪」

「親に褒められたくらいでいい気になるんじゃないわよ。……まあ、調子に乗って結婚するなんて言わなかったことは褒めてあげるけど」

「ふふ、仕事とプライベートは分ける主義なんです」


 何だかんだ距離が近い紅葉と麗華の微笑ましい光景に感化されたのか、蚊帳かやの外からひょっこり顔を出したイヴが僕に肩を寄せてきた。

 ノエルが居ないと少し寂しいのかもしれない。僕は彼女の手首からヘアゴムを取ると、「美味しいケーキにしようね」と髪をひとつにまとめてあげる。


「……?」

「髪をまとめる仕草に慣れてるって?」

「……」コク

「別に誰かで練習したわけじゃないよ。紅葉がやってるのを見たりしてたから、真似しただけのこと」

「……」ジー

「ほら、怪しむような目を向けてないで、早くキッチンに移動するよ」

「……♪」


 イヴの手を引いてソファーから立ち上がると、ちょうどピンポーン♪とインターホンの音が鳴る。

 まさか母さんが戻ってきたのかと思ったが、どうやらそうでは無いらしい。確認しに行ってみると、夕方頃に来るはずの萌乃香ものかがドアスコープから見えていた。


「いらっしゃい。どうしたの、こんな早くに」

「私、待ち合わせの時間に行こうとするといつも不幸に巻き込まれるので、早めの時間に出発してるんです」

「なるほどね。それで、今日はどうだったの」

「驚いたことに、何も起こりませんでした!」

「それは良かった。まあ、パーティーまで数時間待ってもらうことにはなるけど」

「……こ、これが不幸ですか……?」

「そうみたいだね」


 萌乃香は過去のトラウマ(ケーキひっくり返し事件)のせいでケーキ作りには参加出来ないし、他のみんなは手伝ってくれるから話し相手にもなれない。

 友達の家に来ておいて、一人でぼーっと待ちぼうけ状態になりそうだね。まあ、どうしても暇ならケーキ以外の運び作業でも手伝ってもらおう。


「あっ。ところで、インターホンのところに手紙が置いてありましたよ?」

「手紙? 今時珍しいね」

「ま、まさかラブレターでしょうか」

「それは無い」


 とりあえず中に入ってもらおうと萌乃香をリビングへ連れて行き、丁寧に閉じられている手紙を開封してみる。

 中身は二つ折りされた1枚の紙で、透けている文字の量からしてシンブルなお手紙らしかった。


「一応聞くけど、奈々はいつまで隠れてるつもり?」

「こ、怖くて動けなかったんだもん……」

「何がそんなに怖いの」

「だって、私がお兄ちゃんのこと好きだってバレたら最悪別居だよ?!」

「……あー、それは無いんじゃないかな」


 僕はそう言いながら、ちょうど目を通し終わった手紙を奈々に手渡す。彼女はそれを読み終えると、困惑した表情でこちらを見つめてきた。


『私の娘に手を出したら殺すわよ ―母より―』


 詳しいことは書かれていないが、要するに母さんが伝えたかったことはこういうことなのだろう。


「奈々が僕のこと好きだって、バレてたんだろうね。あえてそこに口出ししないところが母さんらしいよ」

「でも、手を出したらって書いてあるから、私がお兄ちゃんに手を出すのは許されてるってことだよね?」

「ポジティブにも程がある。僕が殺されちゃうから勘弁して」

「なら、お母さんにもバレないところに逃げればいいよ! 無人島とか無人島とか無人島とか!」

「だったら、りんごジュースを売ってるコンビニのある無人島にしてね」

「……遠回しに断ってる?」

「もちろん」


 その後、状況が理解出来ていない萌乃香に説明してあげたのだけれど、「もしかしてさっきすれ違った人ですかね。これ、息子に渡しておいてって渡されたんですけど……」とHIFUMI名刺を見せられたことはまた別のお話。


「……どうやって萌乃香が友達だって見抜いたんだろうね」

「お母さん、昔からそういうところあるもん。考えても分からないよ、多分」

「だね」

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