第39話
私は火照った顔を冷やすため、トイレの洗面台の前に立った。しばらく自分の姿を眺めていると、心做しか顔色がいいなと感じる。
もしかすると、
あれ、よく考えてみたら私……今、異性と2人で学校帰りに寄り道してるのよね?
それってつまり……で、デートってこと?!
これまで全く意識していなかったからなんともなかったけれど、一旦理解してしまえば頬も気持ちも留まるところを知らずに緩み続けてしまう。
心を落ち着けようと思って他のことを考えようとしても、浮かんでくるのは瑛斗との会話かお姉ちゃんの余計な一言くらいなもので……。
余計にデートを意識してしまって、どんどん渦の中に引き込まれていく感じがする。まさにデートスパイラルね。
「……って、何おかしなこと考えてるのよ」
けれど、やっぱり時間が経てば思考が感情に追いついてくる。だから、デートだなんて照れているのは自分だけだと気がついてしまった。
瑛斗は私を友達としてしか見ていない。別に私だってそれ以上を望んでいる訳では無いけれど。
それでも女子というのは夢見がちな生き物だから、いつもありもしないことほど求めてしまう。私だって例外では無いのよ。
「……頭を冷やさないと」
蛇口を捻って水を出し、両手で作ったお皿に溜めて顔にパシャリとかける。
自分の頬と水との温度差に、自分がどれだけ一人で舞い上がっていたのかを思い知らされたような気がした。
「……ん?」
ふと、背後から個室のドアの開く音が聞こえ、私は自然と手を止める。出てきた人物の足音は私の横で手を洗ってからトイレの外へと消えていった。
「……誰?」
単に個室から出てきて手を洗って出ていっただけなら、そんな疑問を口にしたりはしない。
けど、私は確かに聞いた。先程あの人物が横に立った時、「無防備ですね」と呟いたのを。
顔を上げて後ろ姿を見ようとはしたけれど、目に水が入ってしまって視界が霞んだせいで、誰なのかまでは分からなかった。
けれど、私と同じ制服を着ていたのははっきりと覚えている。つまり、
まあ、こんな場所には色んな人が来るから、同じ学校でも知らない人という可能性も高いわよね。言葉だって単なる独り言か、ワイヤレスイヤホンで電話をしていた可能性だってある。
……そもそも、私の顔と名前を知っている人なんてほとんど居ないわけだし。
一人でそう納得して、滲み出てきそうな涙を洗い流すためにもう一度顔に水をかけてから、ハンカチで拭いてトイレを後にした。
「瑛斗、お待たせ…………って――――――」
テーブルに戻り、自分のイス……であるはずの場所を見て、私はようやく理解する。
あの言葉の意味と、呟いた人物の正体を。
「
ニコニコと愛想笑いを浮かべる目の前の女……
彼女はあろうことか、現在は私のパーソナルスペースであるはずの椅子に、堂々と腰かけていたのだ。
無防備というのは私自身のことではなく、椅子のことだったようね……なかなかやるじゃない。
「どうして白銀 麗子がここに?」
「白銀さん、期間限定のパイを食べに来たんだって。そこで偶然僕たちを見つけたみたい」
瑛斗が説明してくれるけれど、そちらは話半分で
最近話題になっている三角パイを頬張っているところを見るに、ここに来た理由は本当なのかもしれないわね。
学校から跡をつけてきたのかもしれないけれど、それを疑うのは無謀すぎる。なにしろ私側に証拠がないから。
もしも、白銀 麗子が『ゲーム』の件で瑛斗に近づいてきたのだとすれば、今彼女を疑うことは自分を下げて相手を上げる敵利的な行動にしかならない。
自ら養分になるということだけは避けたいところね……。
「あっ。ごめんなさい、私のせいで東條さんの席が無くなってしまいましたね」
「……別に構わないわ。私はここで立っているから」
「そういうわけにはいきませんよ。さあ、仲良く半分こしましょう♪」
白銀 麗子はそう言って、椅子の右半分を空けた。その様子を見て、私は心の中で愚痴をこぼす。
この女、まさかそこに座れと言っているの?おかしいじゃない、本来は私が丸々占領していたものを、主がいない間に勝手に侵略しただけのくせに。
白銀 麗子がさっさとこの場から消えれば、なんの問題もないのよ。私が我慢する必要なんてどこにも―――――――――――っ!
「ほら、座ってください」
「ちょ、ちょっと……!」
突然、肩を掴まれて無理矢理座らせられる。『そんなふうにしたらお尻が痛いでしょ?!』と文句の一つでも言ってやろうと白銀 麗子を睨むけれど、予想以上に近くにあったその顔に、思わず怯んでしまった。
「白銀さん、紅葉と仲良くしてくれてるみたいで嬉しいよ」
「ふふっ、私も仲良くできて嬉しいです」
「はぁ?何が仲良k―――――――っ?!」
おかしなことを言うなと怒ろうとすると、肩にあった手が察知したようにスライドしてきて私の頬を鷲掴みする。
そして瑛斗に見えない角度を向かせられると、中指と人差し指が口の中に侵入してきて、私の舌を上下から挟んだ。
その感じたことの無い感覚に、私の体は無意識にビクッと跳ねる。
「あっ、新しい猫の動画がアップされてるよ」
白銀 麗子は瑛斗がこちらに気付いていないのを確認すると、私の耳元に口を近付け、他に聞こえないような小さな声で囁いた。
「余計なこと言ったら、舌、引っこ抜いちゃいますよ?」
そのワントーン低い本気の声に、私は身動きひとつ取れずに固まってしまう。この女……ヤバい……!
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