第373話

 深海の世界から地上へと帰ってきた僕たちは、最後の水槽を眺めながら大きく深呼吸をする。

 神秘的でいつまで見ていても飽きない気もするけれど、やっぱり人間は太陽光が必要だね。


「長かったような短かったような、時間の感覚があまり無いわね」

「今が2時15分なので2時間はいたことになりますけど、あっという間に感じましたよ」

「うんうん、わかる!」


 タッチプールではない水槽に手を突っ込んだイヴの手を拭いてあげつつ、僕はみんなの会話に耳を傾ける。

 デバイスで時間を確認していた麗華れいかが、「そろそろ行きますか」と口にすると、近藤こんどうさんたちもみんな頷いて出口へと向かい始めた。

 美ら海水族館に来た目的としてジンベエザメを見ることも大事だったけれど、僕たちにはもうひとつしたいことがあったのだ。


「あれかな、遊覧車って」

「多分そうね、調べた時に出てきたのと同じだもの」

「出発してしまう前に早く乗りましょう」


 そう言って足早に乗り込んだのは、海洋公園の端から端までを移動している遊覧車。

 分かりやすく言えば、敷地内のみを走るバスのようなもので、僕たちがこれから見に行くもののためには乗る必要があったのだ。


『発車します、ご注意ください』


 運転手さんのアナウンスとともに扉が閉まり、遊覧車はゆっくりと走り出す。

 瑠海るうなさんに車を回してもらうという方法もあったけれど、せっかく来たのだからこれにも乗ってみたいよね。


「あれ、瑠海さんは?」

「瑠海はショーを見ないそうです。帰りのために車を用意して待っていると言っていました」

「それは残念だね」

「前に来た時に見たことがあると言っていたので、そんなに気にすることはないと思いますよ?」

「そっか」


 僕たちが見に行くと言っているのは、美ら海水族館名物のオキちゃん劇場だ。

 水族館に来たのならイルカショーを見ない訳には行かないからね。ジンベエザメの餌やりとどっちを見るかはそれなりに悩んだけれど。


『オキちゃん劇場〜オキちゃん劇場です。イルカショーをご覧の方はこの停留所でお降り下さい』


 アナウンスを聞いた僕たちは停車と同時に立ち上がると、料金を払って降車する。

 時間にそれほど余裕が無いので、そこからは駆け足で中へ入ると、偶然にも固まって空いている7席を見つけて腰を下ろした。


「一番前なのにどうして空いてたんだろう」

「運がいいだけよ、きっと」

瑛斗えいとさん、気にしすぎですよ」

「まあ、そうだよね」


 隣に座った麗華の横顔の向こう側に、親指を立てている紫波崎しばさきさんが見えたけれど、誰も気付いていないみたいだから知らないフリをしておく。

 きっとノエルのために確保しておいてくれたんだね。少しずるい気もするけれど、僕は修学旅行だからと強引に自分を納得させた。


紫帆しほ、そろそろ始まるよ」

「わかっとる、ちゃんと準備しないとやろ?」

「準備って何のこと?」

「イルカショーと言えばひとつしかないやろ」


 近藤さんと紫帆さんの会話が耳に入ってきた頃、イルカショーの始まりのアナウンスが鳴り響いて、イルカのオキちゃんがトレーナーさんの前に止まる。

 それから右へ飛んだり左へ飛んだりをしたかと思えば、エサを貰って様々な芸を見せてくれた。


「すごいね、足ヒレだけで水の上に立ってる」

「それにちゃんと合図を理解してるわ。イルカってすごく賢いのね」

「強くて賢い、まさに非の打ち所がないですね」


 みんなで感心している間にもイルカたちの名前の紹介や、体の作りについての解説とフラフープやボール運びなどの技も見せてくれた。

 ショーに参加するイルカの中に『イブ』という名前の子がいるらしく、呼ばれた時にノエルがクスリと笑うとイヴも気恥しそうに後ろ頭をかいてたよ。

 自分と同じ名前、似た名前が他にいる時のあるあるだよね。小学校の英語の授業でも、数字を数える時に必ず振り返ってくる人がいたし。


「高く飛べるとは知ってたけれど、実際に見るとすごい迫力だね」

「こんなの、目を離せないわよ」

「カメラを持ってくればよかったですね」


 そんな感じでショーに魅入っていると、『大ジャンプですよ!』というアナウンスと共に一際体の大きなイルカが水面から飛び出す。

 キラキラと水しぶきを上げながら飛ぶ様は、まるで羽ばたいているように優雅だった。

 そして着地と同時に大きな音を立てるのを見た僕は、紫帆さんの言っていた『準備』の意味を理解することになる。


「……イルカショーってこういうものだったね」

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