第132話

「失礼します」


 奈々ななはそう声をかけてから、重たい扉を開いて部屋の中へ入る。

 普通ならそこには文科省から派遣された人が待っているはずなのだが、彼女の場合は違っていた。

 その人物はイスに座ったまま背を向けているが、そこから発されるオーラが正体を物語っている。


「……学園長?」

「ああ、そうだよ。奈々君と少し話がしたくて変わってもらったんだ」

「どうしてですか?話なら学園長室で――――――」


 奈々はそこまで言うと、何かに気がついたように言葉を止めた。学園長のことだ、理由がないはずがないのだ。


「お兄ちゃんのことですか?」

「察しがいいね」


 学園長は感心したように頷くと、くるりとこちらを向いて立ち上がる。そして机の上にあった資料を奈々へ手渡した。


の途中経過だよ」

「っ……」


 その言葉を聞いて反射的に資料に目を落とした彼女は、そこに書かれた文字を見て思わず舌打ちをした。


瑛斗えいと君の恋愛無関心度は、前回の測定で僅かながら下がってきていたよ。今回もきっと下がっているだろうね」

「ど、どうして……」

「そんなの決まってるじゃないか。周りに可愛い女の子がいるんだ、いずれ誰かには落とされる」


 学園長は奈々の顔を覗き込むように見ると、「つまり、ボクの勝ちに近付いていると言うことさ」と口元をニヤリとさせる。

 その嫌味な表情に、彼女の背筋はゾクリとした。S級をぶつけるなんて、結局は無意味な方法だと思っていたのに……。

 奈々は本当に勝たなくてはならない相手である目の前の男をじっと睨みながら、4月頃のことを思い返した。



 学校が始まってまだ間もない頃。私がお兄ちゃんに想いを伝えた直後でもあった。放課後に学園長室へ呼び出されると、そこでこんなことを言われたのだ。


『瑛斗君を転入させようと思っているんだ』


 それは私にとって喜ばしいことだった。同じ学校に通うことは、自分の中でずっと憧れていたことだから。

 けれど、学園長はこんな言葉も付け足した。


『奈々君はお兄さんを誰にも取られたくないんだろう?なら、勝負をしよう』


 その勝負の内容は、お兄ちゃんが誰かと恋愛をするかどうかという賭け。

 もしも恋愛をすれば学園長の勝ち。代償として私は子供のいない学園長からこの学園を受け継ぐ。

 もしも恋愛をしなければ私の勝ち。報酬として誰にも邪魔されずに、お兄ちゃんと2人だけで住める環境を提供してもらう。

 今は二人暮しだけれど、いずれお母さん達も帰ってくる。そうなれば、家で好きだの愛してるだの言うことも出来なくなってしまうだろう。

 高校を卒業してすぐにでも2人だけの空間が欲しい。そう思っていた私にとって、その提案はある意味チャンスだったのだ。

 でも、今となっては後悔している。まさか、学園長の立場を利用して勝ちに来るとは思っていなかったから。



「まあ、何はともあれ奈々君は今回もA級維持だよ。おめでとう」

「……そうですか」

「ゲームに参加する資格はないけど、邪魔くらいはしてもいいからね」

「言われなくてもしますよ、全力で」


 奈々はそう言うと、「更新されたステータスを確認するように」という言葉を背中に受けながら部屋を後にした。


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「……ふぅ、嘘をつくのも疲れるよ」

「お疲れ様です、学園長」

「ああ、ありがとう。今日もセクシーだね」


 秘書の持ってきてくれたコーヒーをすすりながら、学園長は手元の資料に目を落とす。そこには唯斗のステータスが記されていた。

 ただし、一部公開されているものとは違うが。


「さすが多感な時期の高校生たちだ、上手く騙されてくれるよ。恋愛無関心度なんて嘘にね」


 学園長はひとり悪い笑みを浮かべながら、もう一度コーヒーを口に含んだ。


「……苦いね」

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