第612話

 3人で出かけると約束をしてから数日後、僕は紅葉くれは麗華れいかと一緒に買い物に出かけた。

 時期としては少し遅いけれど、色違いで手袋とマフラーを買おうなんて話になって奮発しちゃったよ。

 使って汚したら心配だから、今年の冬は使わないまま大切に保管して終わってしまいそうだけれど。

 そんなことを思いながら値札も取っていないそれらをクローゼットにしまった僕は、カバンを持って家を出る。

 今日は買い物から一週間後の日曜日、絶対に外すことの出来ない用事がずっと前から確定していた。


「休みの日にごめんね、瑛斗えいとくん」

「いいんですよ、僕にとっても思い入れのあることですから」

「私だけがいるより、あの子は君がいる方が頑張れると思うの。よろしくお願いするわね」

「任せてください」


 場所は春愁しゅんしゅう学園高校だと言えば伝わるだろうか。普段は部活に励むものしか居ないはずの日曜日の学園に、今日は何百人もの人が集まっている。

 その理由は他でもない、現中学3年生たちが入学試験を受けるためだ。他の高校が2月中旬に行う中、春愁が少し早めなのは合格者がテストだけでは決まらないから。

 政府の設置した春愁学園高校専門の審査機関が設置され、テストで合格ラインよりも上だった者が本校に相応しい人物かをチェックする。

 もちろん、親がどんな人物か、どんな環境で育ったかは関係なく、本人のみで評価が行われる仕組みだ……と先日叔父さんがメッセージで教えてくれた。

 とは言っても、学園長が入学者に関して決定出来る権限を持っているのは、僕のように欠員による特例転入の場合のみらしいけれど。

 それでも学園長が叔父さんから結衣ゆいさんに変わっただけで少し安心さを感じる辺り、団体の顔の大切さが分かるね。


「あ、瑛斗くん来たよ」


 物思いにふけっていた僕は、紅葉のお姉さんにそう言われてハッとする。

 いつの間にか少し離れたところにお高そうな車が停まっていて、そこから見覚えのある顔……紗枝さえが降りてきた。

 彼女は僕たちの存在に気が付くと、一瞬驚いたような顔をして駆け寄ってきてくれる。


「瑛斗先生まで来るなんて聞いてないぞ?!」

「サプライズだよ、サプライズ♪」

「余計なことするな……って言いたいところだが、ちょうど頑張るって伝え忘れてたところだ」

「先生もたまには役に立つでしょ?」

「……そのドヤ顔、ムカつく」


 紗枝はそう言ってからクスリと笑うと、少し照れたように視線を逸らしながら「まあ、最後の方は意外といい授業だったかもな」なんて呟いた。

 僕が初めに呼ばれた理由が『授業が分かりづらい』だったことを考えると、家庭教師としてかなりの進歩なんじゃないだろうか。

 一人の生徒をしっかりここまで送り届けたのだから。まあ、給料が高いことが動機だとは言っていたけれど。


「紗枝、僕から見ても成長してる。勉強だけじゃない、人間として大きくなったと思う。だから、心配せずに全力を出し切ってね」

「言われなくてもやるに決まってるだろ。でも、先生のおかげでもっと意思が強くなった」

「お父さんの会社を胸張って継ぐって夢、ずっと応援してるからね」

「路頭に迷ったら先生を雇ってやってもいいぞ?」

「そうならないよう必死に生きるよ」

「ふっ、その方がいいな」


 紗枝はそう言いながら腕時計をチラッと見ると、「もう行った方がいい時間だな」と僕たちに背を向ける。

 なんだか我が子を見送るような気持ちになって胸が熱くなるけれど、溢れ出そうなものはグッと堪えて大きく手を振った。


「あ、そうだ。先生に言い忘れてたことがある」

「どうしたの?」

「今度、先生が修学旅行のお土産でくれたカードゲームで勝負してくれよな」

「『OKINAWA』ってやつだね、望むところだよ」


 その返事に嬉しそうにガッツポーズをする彼女に、僕がきっと大丈夫だろうなと心の中でホッとため息をこぼしたことは言うまでもない。

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