第529話
クッキーの型抜きが終われば、そこへ
これが何とも使える品で、五十音の平仮名とカタカナそれぞれのスタンプがあり、付属の道具に取り付けることで好みの文字列が作れるのだ。
これを使えば定型文だけでなく、自分の名前や感謝の気持ちだって刻める。これが百均で売られていたとは驚きだね。値段は300円だったらしいけど。
「ふふ、『くれは』って書いてあるのは私が作ったクッキーよ」
「まるで縄張りを主張する野良猫ですね」
「そう言いながら、あなただって『れいか』って刻んでるじゃない」
「
「娯楽を理解できないなんて、随分とお堅い頭なのね。そんなだからメイドと喧嘩してみんなに心配されるのよ」
「そちらこそ、そんな子供っぽいからクラス投票で一票も入らないんですね」
「……何よ、それ」
「え、噂すら聞いてないんですか?」
予想外の反応に目を丸くする麗華によると、冬休みに入る直前、2年A組の男子が『女子人気投票』なるものをしていたらしい。
ちなみに1位は麗華で2位は僕が話したこともない人だったけれど、ここで僕もひとつ気になることが出てきた。
「……それ、僕も投票してないんだけど」
「え、
「どうして紅葉限定なの」
「何、私じゃ不満ですって?」
「違うよ。僕が投票してたら、紅葉にこの一票は自分が入れたんだよって胸を張れたでしょ?」
「……そもそも、結果すら今聞かされたのよね」
「言われてみれば確かに」
まあ、過ぎたことは仕方ない。
麗華によればバケツくんも愛実さんに入れるだろうと声をかけられていなかったみたいだし、そもそも票を入れたら睨まれそうだからって愛実さんもゼロ票だったらしいからね。
仲良くない相手からの人気なんて気にすることはないよ。麗華が1位だったことは、友人として鼻が高いけれど。
「紅葉も麗華も僕にとっては1位だからね。そんなランキングは関係ない」
「どっちもだなんて納得いかないわよね」
「その通りです。1位はこの世に一人でいいんですよ」
「そうだよ! 1位は妹の私に決まってるけど!」
「
僕が3人から詰め寄られている間に、メイドさんたちが180度に余熱したオーブンへとクッキーを入れてくれる。
時間短縮としてはありがたいけれど、その作業を理由に話題を逸らそうとしていたこちらからすれば一大事だ。
誰か一人を選んで一時的にでもナンバーワンだと言ってあげなければ、この包囲網からは抜け出せそうにない。
ただひとつ、少しばかり自分の良心を傷つける覚悟をすること以外には。
「別に決めてもいいんだよ。でも、本当にそれでいいのかな」
「どういう意味よ」
「もし僕の中で誰か一人決めた人がいたとして、その相手がこの中にいなかったらどうするの?」
「「「っ……」」」
「それにこの中にいたとしても、3人の空気が悪くなるだけだと思うな。それが友達としての意味でも、異性としての答えだとしてもね」
「……い、今は聞くべきじゃない気がするわね」
「……同感です。タイミングが命ですから」
「……楽しい時間が台無しになりそうですし」
言葉というのは残酷で、聞かされるだけで脳が勝手に『もしそうなったら』の未来を想像させてしまう。
彼女たちもまさに今、それぞれが最悪の状況を思い浮かべているのだろう。
例えば、ここにいない誰か……ノエルが僕の一番の人という未来なんかをね。
きっと、3人にとってはそれがありえなく無いと思えることだからこそ、こんなにもあっさり気持ちを引っ込めてくれたんだと思う。
僕も鬼じゃないから、光が薄れた6つの瞳を見ると胸がズキンと痛むけれど。
「……」ジー
「どうしたの、イヴ」
何やら一人で黙々と作業をしていたらしいイヴにそう声をかけると、彼女は色んなところから生地の切れ端を集めてきて小さめのクッキーを作ったらしい。
ただ、用意した文字列が入り切らないらしく、やむなく諦めようとしていたようだ。
「随分と長いみたいだけど、何を刻みたかったの?」
「……ん」
「…………なるほどね」
差し出されたスタンプを見た僕は、思わず頬を緩めて頷く。そこに並んでいたのは他でもない、『イヴ ノエル クレハ レイカ エイト ナナ モノカ』という、パーティ参加者全員の名前だったから。
「そうだね、みんな友達だもんね」
「……」ジー
「心配しなくても、イヴだって1番だよ。友達に順位なんて付けたりしないから」
「……♪」
イヴの無邪気さに救われたような気がした僕がその後、「妹ナンバーワンは奈々だよ」と言ったら、「……2番目の妹がいるの?」と真顔で質問攻めされたことはまた別のお話。
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