第182話

「妹のために浴衣を貸してほしいと?」

「そうなの。お願いできない?」

「……まあ、貸すこと自体は出来るさ」


 頭を下げる姉をゲーミングチェアの上で体育座りしながら見下ろす彼女。身長はまさに紅葉くれはと同じくらいだが、感じ取る雰囲気は全く違う。

 目の下のクマやボサボサの髪、薄暗い部屋からわかる通り、この根倉ねくら 杏子あんこは引きこもりである。


「でも、ボクがキミに貸す義理はないね」


 そう冷たく言い放つ彼女が引きこもる原因を作ったのが紅葉の姉なのだから、ここまで毛嫌いされるのも無理はなかった。


「そう言わずに……」

「ボクはキミに好きな人を取られたんだよ。どうして助けなきゃいけないんだ」

「別に私は彼と付き合ってない。杏子が好きな人だって知ってたから、ちゃんと振ったんだよ?」

「それでもあの人はキミを諦めてなかった!」


 杏子はくるりと背を向けると、パソコンをカタカタとタイピングし始める。彼女がEnterキーを押すと同時に、部屋のあちこちにある小型スピーカーから音声が流れ始めた。


『お帰りください、お帰りください』

「待って、妹のためなの!」

「ボクは君の顔なんて見たくない」

『お帰りください、お帰りください』


 杏子がもう一度Enterキーを押すと、今度は部屋の奥から現れた掃除ロボット3台が姉目掛けて走ってくる。

 元々機械に強いタイプだったけれど、まさか既製品を制御可能にするほど腕を上げているとは思わなかった。


「一生のお願いだから……」

「ボクは君に人生を狂わされたんだ。聞くわけないよ」

『カエレ、カエレ、カエレ』


 出口へと追いやられていく姉。しかし、ここで諦めれば妹を泣かせることになってしまう。

 彼女は拳を握りしめると、思い切って掃除ロボット達を飛び越えた。

 それでも追いかけてくるロボット達に足を攻撃されたけれど、姉の根性はそんなものでは揺れたりしない。


「杏子、何でもするからお願いします!」

「……安い土下座だね。妹想いな姉だこと」


 床に額をつける姉を鼻で笑う杏子。ここまでしてダメなら、本当に何も聞くつもりは無いのだろう。

 そう理解した瞬間、彼女の中でなにかが弾けた。

 どうせ貸してくれないのなら、心の底にあるものをぶつけてやろう。その方がずっといい。


「一つだけ言わせて」

「何?」

「杏子、自分のこと見えてる?」


 激しく肩を上下しながら、普段なら言わないような酷いことを言うため心を鬼にする。

 自分が相手を傷つけると分かっているからか、呼吸するのさえ苦しかった。


「言っとくけど……好きになった男の恋を応援出来ないなんて最悪な女だよ!」

「っ……」

「杏子、クラスで可愛い人ランキング最下位だったじゃん」

「うぅ……」

「オシャレに気を使わないし、髪だって寝癖だらけだったし」

「え、ちょ……」

「今だってなんなの! 机にはポテチ、暗い部屋でパソコン見て、寝不足なの丸わかりだよ?」

「待って、もう……!」


 姉が最後の一言、「可愛さの欠けらも無いよ!」をぶつけた瞬間、杏子は白目を向いてゲーミングチェアから転げ落ちる。

 彼女はそのまま這うようにクローゼットへ移動すると、フラフラしながら取り出した浴衣を手渡してきた。


「……いいの?」


 そう聞く姉に小さく頷く杏子。彼女は死にかけのような真っ青な顔で聞いてきた。


「ボク、今からでも可愛くなれるかな……」

「なりたいの?」

「本当はずっとなりたかったさ。でも、変わる勇気がなくて……」


 プルプルと震える杏子の手を、姉はしっかりと両手で包み込んであげる。そして、真っ直ぐに目を見つめながら力強く頷いた。


「好きな人のためなら、女の子はどこまでも可愛くなれるよ!」

「……手伝ってくれる?」

「あたぼーよ!」


 こうして姉は浴衣と引替えに、杏子が好きな人を落とすための手助けをすることになったのであった。


「くーちゃん、お姉ちゃんやったよ!」

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