第56話 慣れと親しみと愛着と
「僕は普段の紅葉の方が好きかもしれない」
「……どうして?」
「紅葉だなぁって安心するから。化粧して大人っぽくなると、離れちゃった気がしてさ」
「ふーん、あなたでもそんな風に思うのね」
「僕の感想だから、紅葉はしたいようにすればいいと思うよ」
そう伝えたものの、彼女は「いいえ」と首を横に振って化粧を落とし始める。
「化粧品はまた今度買うことにするわ」
「気に入ったのがあったんじゃないの?」
「私は気に入ったけど、あなたが気に入ってないみたいだから。初めに言ったでしょ、あなたが私の基準なの」
きっと世間は化粧をした紅葉にいい評価をする。だってすごく可愛いから。
瑛斗の主観なんてあてになるはずもなくて、それは彼女だって分かっているはずなのに。
「どうしてそんなに僕の意見を大事にするの?」
「……さあ、どうしてかしらね」
「意地悪しないで教えてよ」
「そこまで知りたいならヒントをあげる。私はね、これからもあなたの隣を友達一号として歩き続けるつもりなの」
「僕だってそのつもりだよ。今更離れようなんて考えたりしない」
「こう見えて結構感謝してるのよ、あなたがあの時声を掛けてくれたこと」
「別に有り難がられるようなことは何も……」
「たとえどんな思惑があったとしても、私はずっと瑛斗に感謝し続けるわ」
「……」
まるで何かを見抜いたかのような瞳。それを向けられて何も言えなくなる。
いずれは妹のこともバレるだろうと覚悟はしていたが、こんなにも早く見透かされるとは思っていなかったから。
「ふふ、なんてね。あなたがそこまで考えて行動してるとは思えないけれど」
「……酷い言われようだよ」
「あなたの隣を歩くからには、私は私の感謝の気持ちに釣り合う人間でいたいの」
「紅葉はもう十分すごいよ?」
「あなたがそう言ってくれるならいいけれど。私の居場所を取ろうとする誰かが現れないとも限らないじゃない」
「誰かって?」
「それは分からないけど、私より可愛い子が来たら瑛斗はそっちを選ぶかもしれないもの」
そんなことを心配していたのかと微笑ましく思うと同時に、胸の深くを刺されるような感触も覚えた。
可愛いかどうかはきっと関係ない。けれど、もし紅葉よりも『敵』に繋がる存在と接触したらどうだろう。
自分はそちらにばかり関わって、彼女との関係を蔑ろにしてしまうかもしれない。
妹のこととなると他の何も見えなくなってしまうから。絶対に無いとは言い切れないのだ。
その時、寂しい思いをさせてしまうと思うと、想像するだけで胸がチクリとする。
だからこそ、今約束しておくべきなのかもしれない。いつか訪れるその時のために。
「もし僕がよそ見をしたら、ビンタしてくれていいよ。そしたら目を覚ますだろうから」
「……手加減なんて出来ないわよ?」
「それでもいいよ。紅葉はずっと大切な友達でいて欲しいから」
「そこまで言うなら仕方ないわね。今から素振りしておいてあげる」
「首が取れる強さはやめてね、死んじゃうから」
「それはあなたの態度次第よ」
彼女はそう言って意地悪な笑みを浮かべると、メイクを落とし切ったシートをゴミ箱へと捨てる。
「また買いに来るわ」
「試供品の方はどうされますか? 新しくお持ち帰り頂くことも可能ですが」
「……そうね、同じものをひとつ貰おうかしら。たまには雰囲気を変えるのも気分転換になるもの」
「かしこまりました」
こうして二人は、「またのご来店を……」と頭を下げてくれる店員さんに背を向けて店を出た。
あそこまでしてもらったのに何も買わなかったのは少し申し訳ないが、今欲しくないものを買わないというのは実に紅葉らしい。
「それじゃあ、何か食べてから帰ろうか」
「そうね。甘いものがいいわ」
「この辺りにあったかな」
「そう言うと思って調べてあるの、こっちよ」
向かう方向を指を差しながら、チラリとこちらを振り返る瞳。
シュッとした目尻にはいつも通りのキレがあって、これでこそ紅葉だと感じさせられる。
瑛斗はそんな彼女に手を引かれ、人の行き交う道を小走りで進むのだった。
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