第237話

 今日はついに迎えた文化祭当日。萌乃花ものかの件も解決したし、何も気にすることなく全力で楽しめそうだ。


「おはよう、紅葉くれは

「ん、おはよ」


 迎えに来てくれた彼女と一緒に、いつもの通学路を並んで歩く。

 ただ、交差点で足を止めている間、やたらとこちらをちらちらと見てくる視線が気になった。


「僕の顔に何かついてる?」

「い、いいえ、何もついてないわ」

「じゃあどうして見てくるの?」

瑛斗えいと、私を見て何か思うことはない?」

「思うこと? あ、ゴミ出し忘れてた」

「……殴ってもいいかしら」


 右拳を左の手のひらにぺちぺちとぶつけて威嚇してくる紅葉。僕はそんな彼女をじっと観察するが、特におかしなところは無いように思えた。

 しかし、それをそのまま言えば不満を言われるのは目に見えている。ここは当たり障りのないことを言っておくのが吉のはずだ。


「えっと、ちょっと可愛くなった?」

「あら、ちゃんと分かってたのね」

「もちろんだよ」


 紅葉は僕の言葉を聞いてご機嫌に頬を緩めると、「前髪をカットしたの」と毛先をクルクルと弄る。

 見た目ではあまり変化しているようには見えないけれど、きっとそれは自分が無神経なだけなのだろう。


「ちなみに、何cmくらい切ったの?」

「5ミリよ」

「……ん?」

「あ、0.5cmって答えるべきよね」

「そういうことを言ってるんじゃないよ」


 5ミリ、身近なもので言うと一円玉の半径と同じ長さだ。その程度髪が短くなったからと言って、気付ける人の方が少ないんじゃないだろうか。


「――――――うん、似合ってるよ」

「ふふ、そう言って貰えると嬉しいものね」


 けれど、本人が喜んでくれるなら、髪にこだわっていないような自分がとやかく言う必要も無い。

 実際に似合っているのだから余計な疑問は捨てて、感じたままの気持ちを言葉にして伝えればいいだけだ。


「今日、楽しみだね」

「そうね、瑛斗が一緒にいてくれるなら」

「もし居なくなったら?」

「……殴る」


 ちらっと不安の色を目の中に写した紅葉を、「大丈夫、ずっと一緒にいるから」と言いながら撫でてあげると、彼女は「もう……」とその手を跳ね除ける。


「ごめん、嫌だった?」

「青信号になったわ、早く行くわよ」

「うん、そうだね」


 怒らせてしまったのか、スタスタと一人で先に歩き出してしまう紅葉を、僕は小走りで追いかけて隣に並んだ。

 すると、彼女は横目でこちらを見ながら、2人にしか聞こえないような声でボソッと呟く。


「な、撫でるなら人目のないところにして?」


 その言葉を聞いて僕は安心したよ。嫌がってたわけじゃなくて、周りに人がいたから恥ずかしかっただけなんだね。


「わかった、人目のないところでだね」

「……」


 何も言葉は返ってこなかったけれど、僅かに上がった口角と赤みを帯びた頬が全てを物語っていた。

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「皆さんが早めに来てくれたおかげで、準備が早く終わりました。文化祭開始の時間までは、各々で士気を高めていてください」


 進行役の言葉で、教室にいたクラスメイトたちはそれぞれ仲のいい人と話し始める。そんな中、僕は紅葉に連れられて人気のない場所へと移動した。


「な、撫でるんでしょう?」

「今?」

「瑛斗がするって言ったんじゃない」

「僕はまた別の日にって意味で言ったんだけど」

「なっ?!」


 恥ずかしさからかプルプルと震え始める彼女。以前まではこういう時、怒ってどこかへ行ってしまっていたのだけれど、どうやら成長したらしい。


「……撫でて」


 素直に『して欲しい』と伝えてくれたのだ。そう言われてしまえば、断ることなんてできるはずがない。もとより撫でないという選択肢はないけどね。


「よく言えました。えらいえらい」

「子供扱いしないで……」

「ごめんね、よしよし」

「んぅ、もっと」


 少し意地悪で頭から手を浮かせてみると、紅葉は背伸びをして手のひらに頭を当ててくる。

 初めはあんなに嫌がっていたのに、こんなにも気に入って貰えたと思うと感慨深いものがあるよ。


「今日一日頑張れって言って」

「紅葉、頑張れ」

「……ふふ、頑張れるかも」


 彼女は今日、スイーツ係としてたくさん働くのだ。やる気を出してくれていることに満足していると、物陰からこちらを覗いている人物に気が付く。


「お二人とも楽しそうですね?」

「し、白銀しろかね 麗華れいか?!」

「そんな驚かないでくださいよ、来ては行けないみたいではありませんか」


 麗華はそう言いながら紅葉の横に立つと、頭の高さを合わせるようにしゃがんで僕を見上げた。そして。


「今日一日頑張れって言ってください♪」


 まるで先程の言葉をバカにするように、4割くらいの声真似をしながらそう言った。


 その後、時間が来るまで2人同時になでなでしたのだけれど、右手の方が撫で慣れているだとか言って取り合いを始めたことは言うまでもない。

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