第476話

 迷い始めてからどれだけの時間が経っただろうか。自分たちが恐らく道を間違えているであろうことに気付き、引き返す判断をしてからでも時計の長針が数回転している気がする。

 喉も乾くし、足も疲れる。木に囲まれているせいで太陽が傾き始めた頃には薄暗くなり始め、季節も季節だから寒さも感じてきた。


「ごめん、奈々。お兄ちゃんが頼りないばっかりに」

「お兄ちゃんのせいじゃないよ。きっと、何か運が悪かっただけだもん」


 奈々ななはこんな時でも自分は元気だと見せつけるかのように笑ってくれて、逆に自分の不甲斐無さを痛感してしまう。

 妹を守らなければならない立場であると言うのに、妹に励まされるなんて情けなくて仕方がなかった。

 僕の思い詰めた表情を見て気を使ってくれた彼女は、手を引いて道の脇で休もうと提案してくれる。

 こんなことをしている場合ではないという焦りと、何も考えずに塞ぎ込みたくなるような不安が混ざってどうしようもなかった。


「せっかくの旅行だったのに、こんなことに時間使ってたらもったいないよね。本当にごめん」

「謝らないで。行きたいって言ったのは私だもん」

「責任を持つべきなのは僕だよ。奈々が何かする時、僕が責任を持ってあげなきゃ――――――」


 そこまで言った瞬間、僕は頬に鋭い痛みを感じた。初めは何が起こったのかわからなかったが、少し遅れて奈々にビンタされたのだと理解する。

 こちらからどうしてと聞くよりも前に、彼女は自分から心の内を怒りの込められた言葉にして吐き出し始めた。


「お兄ちゃんは私が生半可な気持ちで好きだって言ってると思ってるの?」

「そんなことない、僕だって真剣に受け止めてるよ」

「じゃあ、責任を持つなんて言わないでよ。お兄ちゃんの責任は私の責任だし、お兄ちゃんの幸せは私の幸せなの」

「……奈々」

「全部一緒に抱える覚悟をしてなきゃ、妹の立場で告白なんてしてない。どちらかが支えるんじゃない、2人とも支えるし支えられるの」


 奈々が放った「私の想いを舐めないで」という言葉は、僕の胸の深いところに突き刺さる。

 これ程までに妹を頼もしく思ったことがあっただろうか。いや、きっと無い。

 確かに、時間が経つにつれて奈々の言葉にも慣れてきていて、軽く見ていた部分があるのかもしれなかった。

 それに対する申し訳なさと、一人で何とかしようとしていた自分の愚かさで笑いが込み上げてくる。


「僕たちは兄妹なんだもんね」

「そうそう。二人居なきゃ、どこか欠けちゃうものがあって当然なの」

「……ありがとう、奈々」

「ふふ、その言葉が欲しかったの♪」


 お互いの顔に笑顔が戻り、心做しか空が明るく感じられた頃。気持ちが前向きになったおかげなのか、運もいい方向へと傾いたらしかった。

 相変わらず自力で帰ることは難しそうだったけれど、逆に向こう側から迎えが来てくれたのだ。


狭間はざま兄妹、ようやく見つけたぞ」


 ガサガサと揺れた茂みから現れたのは結衣ゆいさん。彼女はポニーテールについた葉っぱを払うと、ホッとしたようにため息を零す。


「結衣さん、どうしてここに?」

「女将さんからここの道の看板の位置を変えられるイタズラが多発していると聞いてな。直後に2人がこちらへ向かったと若女将から聞いて、まさかと思って見に来たんだ」

「ちょうど迷ってたところなんです!」

「そうか、もう安心していい。ちゃんと帰り道が分かるようにしてきたからな」


 そう言って手に持っていた毛糸玉を見せる結衣さんによると、道に迷っても辿れば帰ってこられるように、入口付近の木から毛糸を伸ばしてきたらしい。

 つまり、それを糸巻き巻きしていけば、全て巻き終えると同時に外に出られるというわけだ。

 さすが、文科省で働いているだけあって賢い。僕と奈々がそう感心していると、得意げな彼女は早速糸を辿るべく巻き始める。しかし。


「……ん?」

「どうかしました?」

「早く帰りましょうよ」

「あ、いや、その……」


 何やら困惑している結衣さんの手から伸びる毛糸を目で辿ってみると、あろうことか数メートル先でプツンと千切れてしまっていた。


「……千切れたってことは、ここまで引いてきた分が地面に落ちてるんじゃないですか?」

「いや、どうやら回収されたらしい。動物か人間の仕業だろうな」

「あの、他に目印は?」

「無い。これは完全に予想外だ」

「そ、そんなぁ……」


 結局、3人で1時間半ほど歩き回った挙句、心配で見に来た女将さんに拾われ、僕たちはクタクタになりながらようやく旅館へと帰ったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る