第27話

「私もお兄ちゃんを洗ってあげるね」

「いいの?じゃあ、お言葉に甘えようかな」


 奈々ななの髪の毛を洗って綺麗に流し終わった後、そんな会話を経て僕達は場所を交代した。

 それにしても女の子の髪って、洗うのにあんなに時間がかかるものなんだね。今まで全然知らなかったよ。


「はい、シャンプー」

「ありがと♪」


 彼女はニコッと笑うと、手渡されたボトルを足元において、シャワーで僕の髪を湿らせた。それからワンプッシュ分出したシャンプーを手のひらの上で広げ、僕の髪をわしゃわしゃと洗い始める。


「奈々、上手だね」

「そうかな?えへへ♪」

「なんだか慣れてる感じがする。誰かにしてあげてるの?」

「……冗談でもそういうことは言わないで欲しいなぁ。私、お兄ちゃん以外とお風呂入るつもりないもん!」


 そう言いながら、ほんのりと表情にドヤ感を滲ませる奈々。出来れば僕とも入るつもりはない方がいいんだけどね、将来的に。


「お兄ちゃん、かゆいところはないですか〜?」

「んー、右の方が少しかゆいかも」

「ここかな?」

「あ、もう少し上。いや、下かな?うーん、やっぱり左かも」

「こ、細かすぎる……」

「面倒臭い客だからね」

「……自分で言わないでよ」


 奈々は頬を膨らませて文句を言ってきたけれど、なんだかんだ僕の要望に応えてくれた。思っていた通り、人に痒いところをかいてもらうのは気持ちいいね。

 そんなぬるま湯に浸ったような気持ちでぼーっとしていると、鏡に映る彼女が一瞬悪い顔をしたような気がした。


「痒いところは……ここかぁっ!」


 奈々はそう言いながら、僕の脇腹に手を伸ばしてこちょこちょと指を這わせてくる。僕はその攻撃に悶えて涙目になっ――――――――――たりはしなかった。


「…………」

「…………」

「…………あれ?」


 僕の顔を二度見しつつ、奈々は首を傾げる。そしてもう一度こちょこちょ。それを3回ほど繰り返して、ようやく気がついたらしい。


「…………無反応?!」

「あれ、リアクションした方が良かった?」

「そんな、ドッキリに掛けられたけど気づかなくて、全部知っちゃってるのに撮れ高がないから自ら取り直しをお願いするMyTuberみたいなこと言われても……」

「例えが長いよ」


 奈々って、あんなに口回るんだね。速報をお伝えするキャスターくらい早口だったよ。

 僕もそれくらいの滑舌が欲しい。『かつぜつ』が『カツレツ』になっちゃいそうだもん。


「さっきの仕返しをしようと思ったのに、まさかお兄ちゃんの脇腹が鋼鉄だったとは……」

「僕の脇腹はタンパク質だよ?サイボーグじゃないからね」

「そういう意味じゃない……って、言っても無駄だよね」


 彼女は諦めたように苦笑いを浮かべると、シャワーで僕の頭を流し始める。そして綺麗に流し終えると、右耳を触りながら首を傾げた。


「あっ、耳に水入っちゃった」

「大丈夫?」

「大丈夫だと思う。こうして頭を振れば……」


 実際に実行してみるけれど、なかなか上手くいかないみたいで、耳たぶを引っ張ったり鼻をつまんで息を止めて見たりと苦戦しているみたい。

 人間は昔から色々と進化・発展してきたけれど、耳に入った水を何とかすることにも手間取るくらいだから、きっとまだまだ足りないことが沢山あるんだろうなぁ。


「奈々、いい方法があるよ」

「ほんと?お願いしてもいい?」

「うん、僕に任せて」


 でも、人間は知識の生き物だからね。僕も偶然テレビで耳に入った水を抜くことが出来る(かもしれない)方法を知ったばかりだった。

 きっと、あれなら奈々を助けることが出来るはず。


「じっとしててね、耳に近づかないとだから」

「ま、待って、お兄ちゃん。何をするつもりなの?」


 顔を近づける僕に、彼女は少し不安そうな目を向けてくる。


「心配しなくていいよ。一瞬で終わるから」

「その言葉のせいですごく心配だよ!」

「暴れちゃダメだってば。お耳にふーってするだけだから」


 僕がテレビで見た方法というのが、耳に空気を送り込めば自然と水が抜けてくれるというもの。原理とか理屈とかはよく分からないけれど、何となく上手く行きそうな気はするよね。


「だ、ダメ!それだけはダメだから!」

「子供じゃないんだから、それくらい我慢して?」

「注射とは訳が違うんだから、それで大人しくなんてできないよっ!」

「そっか、そこまで言うなら仕方ないね。残念だけど僕はもう上がらせてもらうよ」


 体はまだ洗えていないけど、明日の朝にでも流せばいいだろう。そう思って椅子から立ち上がったのに、奈々は「……待って!」と僕の腕を掴んで止めてきた。


「が、我慢するから……最後まで一緒に入って……」


 元々湿度の高い場所にいるからよく分からないけれど、奈々の目が少し涙ぐんでいるように見えた。僕と離れるのがそんなに嫌だったのかな。


「それならわかった。じゃあ、じっとしててね」

「うん。……あっお兄ちゃん、ちょっと待って」


 彼女は一度頷いたものの、僕が顔を近付け始めるとまた嫌がり始めてしまった。それでも「取り消しは出来ないよ」と強引に耳の側まで口を持っていき――――――――ふーっ。


「〜〜〜〜っ?!」


 奈々は息を吹きかけられた途端、力が抜けたようにその場に座り込んだ。そして左耳を抑えながら、真っ赤な顔で僕を見上げる。


「水が入ったのは……そっちの耳じゃないよぉ……」

「ごめん、こっちだったんだね」

「〜〜〜〜〜〜っ?!?!」


 すぐに右耳にも息を吹きかけてあげると、ついに洗い場で仰向けに倒れてしまった。首まで真っ赤になってるし、きっと熱い湿気のせいでのぼせてしまったんだろう。


「奈々、大丈夫?水は抜けた?」

「ま、まだ……」

「じゃあ、もう一回しないとね」

「やめてぇ、もう死んじゃうよぉ……」


 奈々は声を震わせながら、何とか腕と足で体を持ち上げて四つん這いで僕から逃げようとするけれど、すぐに力尽きてうつ伏せでまた倒れてしまう。

 その時に床に打ってしまったのか、彼女の鼻から血がぽたぽたとたれ始めた。


「鼻血出てきたよ?早く止めないと」

「……うぅ」

「奈々、しっかりして。そっちの世界に行っちゃダメだよ」

「……かゆ、うまぁ……」


 その後、結局僕が奈々を抱えてお風呂から出ることになってしまった。ちゃんと体と髪を拭いて、ベッドに寝かせてあげたから、風邪をひくことはないと思う。

 どうやって服を着せたのかって?それは兄妹だけの秘密だよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る