第431話

 黄冬樹きふゆぎ家を訪ねた僕は、出てきてくれたノエルの顔を見ると思わず首を傾げた。

 ニコニコとしていることはいつもと変わりないのだが、ほんの少しだけ顔色が悪いように見えたのである。


「ノエル、何かあった?」

「大丈夫だよ、何でもない。それより、今日は何の用事で来たの?」

みどりさんへのお土産を代わりに渡してもらおうと思って。ほら、アイドルの家に男が行くってまずいだろうからさ」

「私もアイドルなんだけどね?」

「……ごめん、ノエルの家は慣れちゃってそういう意識してなかった」

「謝らないでよ。私も普通に瑛斗えいと君の家に行くからお互い様だし」


 あははと笑った彼女は紙袋を受け取ると、「じゃあ、明日にでも渡しておくね」と言って扉を閉めようとする。

 しかし、直前で紅葉くれはが隙間に足を挟んで止めると、痛そうな顔を見せないように堪えながらと玄関に並ぶ一足の靴を指差した。


「それ、お客様の靴じゃないかしら」

「あ、ほんとだ」


 扉が大きく開かれたことによって僕からも見えるようになったそれは、ファッション雑誌に出ていてもおかしくないようなオシャレなスニーカー。

 それだけなら新しく買ったノエルかイヴのものだと言えたかもしれないが、どう見ても男の人用のサイズなのだ。少なくとも2人には合わないだろう。

 ということは、自然と別の誰かが来ていることになるわけだけれど、無意識に顔色の悪さと繋げて考えちゃうね。


「男を連れ込んでるのかしら?」

「ち、違うよ?! そういうわけじゃないから!」

「じゃあ、一体誰が来てるのよ。瑛斗を狙っておいてよそ見なんて、私は絶対に許さないから」


 目線の高さはノエルより低いものの、言葉から溢れ出る圧のようなもので紅葉は彼女を押していた。

 ただ、ノエルの口にした「そんなことするわけない!」という声にも同じものが込められていて、隠すことを諦めたのか上がってと手招きをする。

 僕たちはそれに従って家に入らせてもらうと、リビングに通じるドアにはめ込まれたガラスから中をのぞき込むよう指示された。


「あれ、あの人って……」

「見覚えのある顔ね」


 そこから見えたのは、ソファーに座ってじっと待っている男の姿。年齢は自分たちとそう変わらないくらいだろうか。

 この距離からでも整った顔立ちなのが分かる上に、どことなく爽やかなオーラが溢れ出ていた。

 彼の名前は、つい最近ノエルから教えてもらったばかりだから覚えている。そう、尼寺宮にじのみや 天翔かけるだ。


「確か、ノエルと同じ事務所のアイドルだよね?」

「うん。突然家に来ちゃって、とある仕事を一緒にしないかって誘われてるの」

「とある仕事?」

「ほら、女性誌とかにあるでしょ? 男女のモデルがカップルっぽい写真撮る感じの」

「話には聞いたことあるね」


 聞いたことあると言うよりも、つい最近テレビでその仕事をした時のことを女性タレントが話している番組をちらっと見ただけなんだけどね。

 その人によると、ああいう仕事の時はタイプじゃない人でも雰囲気のおかげでかっこよく見えるらしい。

 ただ、その時の相手が女性慣れしていないタイプの人で、珍しく全くときめかなかったという愚痴がメインだったけれど。


「私、そういう仕事はあまり好きじゃなくて。カップルらしいことをするなら、やっぱり瑛斗くんがいいかな……なんて」

「それなら断ればいいのに」

「そうしたよ。それに、そういう企画は心春こはるの方が向いてるって説得したし」

「春担当の櫻田さくらだ 心春こはるちゃんだね。確かにあのか弱さはカップル企画にはピッタリかも」

「でも、私じゃなきゃダメだって引いてくれなくて。居座られてもう1時間近く経つんだよね」


 そこまでノエルにこだわるということは、余程仕事ぶりを評価しているのか、利益が生まれると見込んでいるのか、それとも恋愛感情があるかのどれかだろう。

 もしも最後の選択肢が真実だったとしたら、ファンの中で『ノエルの彼氏は尼寺宮だ』と囁かれているという話も相まって危険かもしれない。


「そうだ。僕たちが遊びに来たってことにして、帰った方が良さそうだって思わせようよ」

「それ、いい作戦かも!」

「それでも帰らなかったら、過激なファンでも演じて引かせればいいわ」

「よし、それで行こう」


 僕たちは未だにソファーの上でぼーっとしている尼寺宮 天翔をチラ見すると、サイレントで手を重ねて『エイエイオー』と心の中だけで叫ぶのだった。

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