第98話
「やっぱり腕相撲だったね」
「……アームレスリングって言ってもらえる?」
「一緒でしょ」
「違うわよ!何のために肘を置く位置を記しておいたと思ってるの?!」
彼女の説明によると、肘を移動させてもいいのが『腕相撲』で、位置を固定するのがアームレスリングなんだとか。
正直、僕はどっちでもいいと思ったけれど、紅葉は腕相撲に思い入れがあるっぽいし、火に油を注ぐことになりそうだったから「理解した」と頷くだけにしておいた。
「トーナメント制でやっていくわよ。じゃあ、1戦目は
紅葉が指名すると、2人は言われた通りに机を挟んで向かい合うように立つ。奈々はもう元気になってくれたみたいでよかった。
紅葉が何を言ったのかは気になるけれど、今は勝負を見守ることに専念しよう。
「ほら、早く審判も位置につきなさいよ」
「また僕がやるの?」
「他に居ないでしょうが」
強引に背中を押されて机の前に立たされた僕は、「こうするのよ!」と教えられながら、握りあった奈々とカナの右手の上に両手を置く。
ここからは単純で、スタートの合図と同時に手を離せばいいだけらしい。でも、スタートの合図を僕に任せるということは――――――――――。
「……余計なこと、しないわよね?」
「するわけないでしょ」
「そう。念のために言っておいただけよ」
肩に手を置かれながら、前もって言われてしまった。これでは「レディ……ファイナンシャルプランナー」の流れができないではないか。
「それじゃあ、僕は何のために開始の合図をするんだ……」
「勝負を始めるためよ」
「理不尽だよ」
「……意味知って使ってる?」
紅葉に睨まれるし、観客の視線はチクチクと痛い。気は進まないけれど、さっさと合図を終わらせてしまおう。
僕が「レディ……」と口にすると、2人は拳にぐっと力を込める。そして。
「ファイト!」
手を離した瞬後、ドンッ!という鈍い音が鼓膜を震わせ、少し遅れてから決着が着いたのだと理解した。
「ふぅ……お兄ちゃんに手を握られるのは、妹の私だけでいいんだから」
そう呟くように言って、パンパンと手を払う奈々。彼女が今回の勝者だ。
負けたカナは手の甲が机に着いたままの右腕を見つめて、驚いたような顔をしている。そりゃそうだ、僕だって奈々にあんな力があるとは知らなかったくらいだから。
「私の手だけ握ってね?お兄ちゃん♪」
僕の両手を包み込むようにして微笑む彼女が、その時の僕の目には少し恐ろしく映った。やっぱり、奈々には早々に兄離れさせないと危険なのかもしれない。
数人の園児たちがこの笑顔を見て、「あのおねーちゃん、こわいよぉー!」と泣き始めてしまったくらいだからなぁ。
「そういうわけだから、審判は出来なくなっちゃったよ」
「……まあ、仕方ないわね。あなたの妹、5人は殺ってそうな目をしてるもの」
「紅葉先輩、やだなぁ。純粋無垢な目じゃないですか〜♪…………ね?」
奈々がそう言いながら紅葉に近付いていくと、彼女は「無理無理無理無理!」とブンブン首を横に振りながら後ずさり。
しかし、人工芝に足をとられて尻もちをついてしまった。
それでも歩みを止めない奈々が、「取って食ったりしませんよ〜ケッケッケ……」なんて言いながら襲いかかろうとするから、襟首を掴んで引き止めると彼女は、「ぐえっ?!」という声か息か分からない音を口から出した。
「奈々、弱いものいじめはダメ。周りの人が紅葉の味方になるよ?」
「っ……ごめんなさい」
「うん、謝れて偉いね」
よしよしと頭を撫でてあげると、彼女は嬉しそうな表情をして大人しくなった。やっぱり、なでなでは最強だね。猛犬も忠犬に変える不思議な力があるんだから。
そんな仲睦まじい兄妹の時間をじっと見つめる視線に、ふと僕は気が付いた。
「その目、紅葉もして欲しいの?」
「ち、ちがっ……んぅ……」
「素直になれば、いくらでもしてあげるのに」
「ちがうってばぁ……」
強引にわしゃわしゃと撫でてあげると、紅葉は僕の手首を掴んで抵抗してくる。けれど、そこには力があまりこもっていなくて、彼女の本心が垣間見えたような気がした。
「僕からの応援だから。受け取って欲しいんだ」
「……それなら……仕方なく撫でられてあげるわ」
「ありがとう」
やっぱり、紅葉の髪はサラサラで触り心地がいいなぁ。猫を撫でているような気分になれるし。
そんなことを思いながら、横目で奈々の方を見てみると、案の定彼女は怖い顔をしていた。
もしも紅葉が決勝に残って対戦することになったら、腕の1本くらい持ってかれちゃうかもしれないなぁ。
「よしよし」
「んぅ……な、長くない?」
「あと少しだけだから」
このなでなでは冥土の土産になるかもしれないね。沢山しておいてあげないと。
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