第17話

「……おはよ」

「おはよう、紅葉くれは


 まだ眠い目を擦りながら、交差点の信号待ちで偶然同じになった彼女と朝の挨拶を交わす。僕がそっとほっぺに触ろうとすると、ペチンと手を弾かれてしまった。

 本当に3分については完全却下らしい。残念だけど今回は諦めるしかないみたい。


「随分と眠そうね」

「少し寝不足なんだ」

「あら、何かあったの?」


 少し興味がありそうな目で見てくる紅葉。そんな目で見られても、爆笑回答は飛び出してこないっていうのに。


「何も無くても夜更かししたい時だってあるよ」

「いや、無いわよ。ちゃんと規則的な生活をしないと、いつか体を壊すわよ?」

「心配してくれてるの?紅葉は優しいね」

「そ、そんなこと……唯一の友達が倒れたら、また一人になるから嫌なだけよ」

「それ、自分で言ってて悲しくならない?」

「……少しは裏の意味も汲み取りなさいよ」


 紅葉は僕の目を見上げながら呆れたようにため息をつく。

 裏の意味ってなんのことだろう。裏ってことは、普段は見えない場所ってことだよね。

 そう思いながら彼女のスカートの中を覗こうと姿勢を低くすると、思いっきり頬をつねられてしまった。


「いきなり何しようとしてるのよ!?」

「裏の意味なんて言うから、目につかない場所に答えがあるんだと思って」

「素でそれをやってるなら、もう少し女心ってものを学んだ方がいいわね。ナンパ塾にでも入れさせようかしら」

「紅葉が直々に教えてくれてもいいんだよ?」

「……できるなら一人になってないわよ」


 溜息をつきながらそう呟く彼女。言われてみれば確かにそうだ。僕もあの人たちのような、断られても断られても折れない強い精神は持ち合わせていないし。


「でも、僕にはいきなり話しかけてきたよね?」

「そ、それは……あなたが私と同じ匂いがしたから……」

「ええっ、紅葉もメリ〇ト使ってるの?」

「シャンプーの話じゃないわよ。てか、ちょっと嫌そうな顔しないでもらえる?!」


 ようやく信号が青になって、僕らは一緒に歩き出す。

 別に、嫌な顔をしたわけじゃないんだけどなぁ。むしろ、同じのを使ってる仲間を見つけたと思って、嬉しい顔をしたつもりだったのに。


「……F級って聞いた時、あなたもひとりの匂いがしたのよ」

「あながち間違いじゃないね。前の学校では友達って言えるほど親しい人はほとんど居なかったから」

「やっぱりそうなのね」


 紅葉は視線を足元に落とす。その様子を見て、僕はふと頭に浮かんだ疑問を口にした。


白銀しろかねさんは、S級になったことで周りの人達が寄ってくるようになったって言ってたんだ。紅葉はそうならなかったの?」


 良くも悪くも、S級という権力には人が集まる。それはSとCのどちらの立場も経験した白銀さんの口から聞いた事実だ。

 けれど、同じS級である紅葉は孤立していた。この違いってなんなのだろう。


「初めは私もそうだったわ。でも、その目に映ってるのが私じゃなくて肩書きだってすぐにわかった。だから全員追い返したのよ」

「誰も残らなかったの?」

「ええ、誰一人ね。友達になりたいと思ってくれない相手とは私も仲良くしようとは思わないから、別にそれでも構わなかったわ」


 けれど……と紅葉は言葉を続ける。


「意識的に無視されるのは、少しだけ傷ついた。それまで意識外にいたはずなのに、肩書きのせいで無理矢理意識の内側に入れられて、その上使えないと分かったら端の方に捨てられたんだもの」


 彼女は話しながらも歩みは止めず、僕のいる側とは反対に顔を向けて袖で目元を拭った。


「紅葉、泣いてるの?」

「泣いてないわよ。目から汗が出ただけだから」

「目に汗腺はないと思うよ」

「……真面目に返さないでくれる?」


 女の子の気持ちが分からない僕にも、今の紅葉のことは何となくだけどわかる。

 彼女はなりたくてS級になった訳でもないし、1人になりたくてその権力に頼らなかった訳でもない。

 突然与えられた肩書きに動揺しながらも、形だけの友達という余計なしがらみを嫌う自分を貫き通したのだ。

 けれどその結果、自分を馬鹿にする人が現れて、自分がしたことは本当に正しかったのかと、少しだけ過去を悔やんでいる。そんな感じ。

 あくまで僕の想像だから、間違っているところもあると思うけど、紅葉のことを無視するような人達よりかは、ぼっち仲間の僕の方が紅葉を理解できていると断言できた。


 まだ出会って2日。それは人間同士が互いに何かを分かり合うことができるはずもない短い時間。

 けれど、紅葉は自分から僕を友達だと言ってくれたんだ。寄り添う権利くらいはあると思う。


「大丈夫、紅葉にはもう僕がいるからひとりじゃないよ」


 そう言って頭を撫でようとすると、彼女は僕の手を掴んで首を横に振る。触らないでと言いたいらしいけど、口を開くと嗚咽が漏れてしまいそうで開けないみたい。

 僕はそれをいいことに、「口にしなきゃ伝わらないよ」と強引に頭を撫でた。


「紅葉だって僕の頬つねったでしょ。そのお返し」

「っ…………」


 初めこそ抵抗していたけれど、しばらくして紅葉も僕を掴んでいた腕を下ろす。同時に口を固く結んでいた力も抜けてしまった。


「私のどこが……S級なのよぉ……」


 ぽたぽたと頬を伝って地面に落ちる涙。僕は今朝奈々ななに持たされたハンカチを取り出して、紅葉に手渡す。


「その目じゃ、学校に行けないね。少し休んでから行こっか、僕も一緒に遅刻してあげるから」


 小さく頷いた彼女の手を引いて、僕は通学路脇の公園のベンチへと向かった。

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