第80話
「……んん」
「あ、お姉ちゃん。目、覚めた?」
「うーん……あと5分だけぇ〜」
「中学生か!」
「お姉ちゃん、おはよ」
「もぉ〜!もう少し優しく起こし……って、どうして私はここにいるの?」
姉が見渡したのは、彼女自身の部屋。自分はキッチンの食卓で倒れたはずなのに……と首を傾げていると、紅葉が「瑛斗が運んでくれたの」と教えてくれた。
「私はダメだって言ったんだけど……」
「あら?もしかして気遣ってくれたの?」
「だ、だって、彼も男の子なのよ?」
「ふふっ、私はくーちゃんと違って心も体も大人なのよ?高校生のお子様に触られたって、なんとも思わないわ♪」
「……バカにされてる?」
胸を張って大人の余裕をアピールしてくる姉にイラッとしながらも、紅葉は彼女がベッドから起き上がるのを手伝ってあげた。
ベッドの端に座った姉は、紅葉に手招きをして隣に座らせると、物思いにふけるような表情で壁を見つめる。
「……くーちゃん、瑛斗くんの事だけど……」
「私もお姉ちゃんに言っておきたいことがあるの」
「それなら、くーちゃんの話から聞くわね」
姉は開いていた口を閉じると、じっと妹のことを見つめる。それを確認した紅葉は、1度深呼吸をしてから話した。
「瑛斗が、『ミルクレープはお姉さんが作った』って言ってくれたのよ。……でも、本当は嘘なんでしょう?」
「……あの子、そんな嘘をついてたの」
姉は「ふふっ」と少し嬉しそうに笑うと、「その通り、大正解〜♪」と小さく拍手をする。
「まさか、くーちゃんに見抜く力があるなんてね」
「子供扱いしないで。何年お姉ちゃんと一緒にいると思ってるの」
「お姉ちゃん、くーちゃんが理解してくれて嬉しいわ♪」
「も、もぉ!頬ずりしないでくれる?!」
「ふふっ、素直じゃないんだから〜」
引っ付いてくる姉を押し返して、不機嫌そうな顔をする紅葉。しかし、その頬は少し赤みを帯びていて、嫌がっている割には満更でもなさそうに見えた。
そんな表情を見て、姉は微笑ましそうに笑うと、ポツリと零すように呟く。
「くーちゃんとこうやっていられるのも、いつまでになるか分からないわね……」
「どうしたの?まるでお姉ちゃんが死んじゃうみたいな言い方して」
「……ふふっ、くーちゃんは知らないんだものね」
意味深な言葉に、紅葉は「え?」という声を漏らした。その次の瞬間には、その小さな体が抱きしめられていて、ほんの少しの苦しさと照れに彼女は身を捩りたくなる。
けれど、それよりも姉の言葉の方が気がかりだった。ずっと一緒にいたのに、そんな重い病気を抱えていたことを知らなかった自分が恨めしいと思った。
「お姉ちゃん、なんて言う病気なの?」
「えっとね、名前は確か……」
思い出そうとしているのか、少しの間唸っていた彼女は、「そうだったそうだった」と頷く。そして隣に座る妹に伝えた。
「くーちゃん大好き症候群かな〜♪」
「……は?」
「病気なんて全部嘘で――――――――そ、そんな怖い顔しないでぇ〜!」
「ついていい嘘と悪い嘘があるって習わなかった?!」
つい、感情的になって掴んでしまった服を離し、紅葉は大きくため息をついた。
こういう、嘘をつく時の演技力があるところが、大好きな姉の嫌いな部分のひとつだ。これで何度心臓が止まりそうになったことか……。
「く、くーちゃん、ごめんね?ちょっとからかっただけだから……」
「人に心配させておいて、それで許されるわけないでしょ?! 少しは私の気持ちも考えてよ!」
「うぅ……返す言葉もありません……」
愛する妹に本気で怒られてしまったからか、落ち込んだように項垂れる姉。紅葉は彼女からぷいっと顔を背けると、わざと足音を立てながら部屋から出た。
「くーちゃんに嫌われた……」
部屋の中には、膝を抱えて瞳を潤ませる姉。そして部屋の外には――――――――――――。
「お姉ちゃん、いなくならなくてよかったよぉ……」
静かに安堵の涙を流す妹の姿があった。
その後、紅葉の部屋の前に『これで許してください』と書かれた紙と共に、余っていたひと切れのミルクレープが置かれていたのだけれど。
「……ふふ、お詫びの品に他人が作ったものを使ってんじゃないわよ」
『夜は太るから食べません』と言う返事と共に、空になったお皿が返却されていたということは、また別のお話。
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