第208話

瑛斗えいとさんは家にいる時、いつも何をされてるんですか?」

「うーん、漫画を読んだりしてるかな」

「漫画ですか。それならこちらへどうぞ」


 そう言われて連れてこられた場所は、『漫画喫茶』と書かれた看板の下げられた扉の前。

 いくら豪邸とはいえ、さすがに家に漫画喫茶なんてものがあるはずないだろう。そんな風に思いながら扉を開けた僕は、思わず生唾を飲み込んだ。


「本当に漫画喫茶だ」

「はい、本物ですよ♪」

「すごいね、色々と」


 中をぐるりと一周してみたところ、普通に漫画を読みながら飲み物が飲めるテーブルがいくつかと、あとは個室が10個ほどあった。

 白銀しろかね邸には元々こんな『必要ある?』と言われそうな部屋がいくつかあるらしいが、この漫画喫茶に限っては10年前の改装工事で作られたんだとか。


「姉の麗子れいこが好きだったんです、漫画」

「じゃあ、ここは現世の天国だね」

「そう思ってくれていれば嬉しいです」


 少し目をうるっとさせつつ、「好きな場所に座ってください」と言って奥のカウンターに向かう麗華れいか

 僕が適当なイスを選ぶと、後ろをついてきていた紅葉も小走りで隣に腰を下ろした。


「ここの従業員も休暇中なので、今日は私がコーヒーを淹れますね」

「コーヒーかぁ」

「他のものがいいですか?」

「りんごジュースはある?」

「ふふ、ありますよ♪」


 やっぱりと言いたげにクスクスと笑った彼女は、「向こうに置いてあるので取ってきますね」と言い残して廊下へ出ていく。

 その背中を見送った後、どこかソワソワしていた紅葉は立ち上がって個室エリアへと移動した。


「どうしたの?」

「こういう場所、前から少し興味があったのよ」

「言ってくれれば一緒に行くのに」

「個室に2人はさすがに狭いわ」

「ロッカーよりは広いから大丈夫」

「……思い出させないでもらえる?」


 頬を赤らめる彼女に「添い寝、喜んでくれたのに」と呟くと、割と強めに脇腹にチョップしてくる。

 どうやら本当に思い出したくないらしいね。


「でも、この広さなら2人でも十分じゃないかな」

「お互いの呼吸音すら聞こえそうな狭さよ?」

「試しに入ってみよっか」

「ふぇ?」


 もしかすると本当に行く機会もあるかもしれないし、シミュレーションというのは大事だ。

 僕は躊躇っている紅葉の腕を引いて個室に入ると、しっかりと扉を閉めてからイスに座る。


「やっぱり1人用なのよ。イスが1つしかないもの」

「紅葉となら2人でも座れるよ」

「そ、それは私がチビだって―――――――」

「いいから座って」


 右側ギリギリまで体を寄せてから、左に出来た隙間へ彼女を強引に座らせた。

 確かにお尻自体は入ったものの、肩の密着度合いを考えるととても漫画を読める環境ではない。


「仕方ないね、紅葉はこっちにしよう」

「え、ちょっ?!」


 僕は紅葉の体を持ち上げると、ひょいと自分の膝の上へと乗せる。これならお互いに真ん中に座れるのだ。

 雰囲気を感じるために置いてあった漫画を手に取り、目の前にある小さな背中に背表紙を当てるようにして読んでみる。


「いいね、これなら2人とも読めそうだね」

「これだと私の背もたれがないのだけど……」

「疲れたら僕に寄りかかっていいよ」

「こ、こう?」


 確かめるように紅葉が背中を預けてきたところで、僕は彼女の前に腕を回した。この状態で紅葉の肩に顎を乗せれば、首が疲れてきても少し楽ができる。


「ほら、2人でもいけるでしょ?」

「い、今喋らないでちょうだい」

「どうしたの?」

「耳に息がかかるのよ」

「あ、ほんとだね」

「喋らないでってばぁ……」


 くすぐったそうに首をすくめる様子に、僕はいつの間にか自分の口から5cmほどの距離にあった可愛らしい耳を見て少し意地悪をしたくなった。


「紅葉、ごめんね」

「……ほぇ?」

「ふぅー」

「ひゃぅ?!」


 紅葉は甲高い声を上げながら体を跳ねさせ、正気に戻ってからすぐに文句を言おうと振り返る。

 しかし、もう一度息を吹きかけようとしていた僕が唇を突き出しているのを見ると、耳まで真っ赤にしたまま固まってしまった。


「……」

「……」


 このパターンはどうすればいいのか。そう悩んでいる間に彼女は何かを決めたように頷くと、グッと背伸びしてキスをしてくる。

 まさかの展開に今度は僕の方が固まってしまい、高揚したような表情の紅葉は嬉しそうに微笑んだ。


「やっぱり、2人で個室もいいかもしれないわね」

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