第437話

「失礼します」


 ノックを2回してから声を掛けて生徒会室の扉を開くと、奥の机に向かっていた茶柱さばしら会長がこちらを一瞥いちべつした。

 その視線は以前の会長とは大きく違い、確かに不機嫌そうだと頷けてしまう。

 他には誰もいないみたいだし、助けもなければとてもチーズケーキだけで解決するとは思えない。


瑛斗えいとクンか。修学旅行、お疲れ様だったな」

「ありがとうございます」

「沖縄は楽しかっただろうか。行先は生徒会が決めたため、意見を聞かせて貰えると有り難い」

「とても楽しかったですよ。食べ物も美味しかったですし、過ごしやすい気温でしたし」

「そうかそうか」


 いくら不機嫌でも仕事はちゃんとこなすようで、僕から聞いたことを手元の資料にメモしているらしかった。

 ただ、ひとつ気になるのが左手の行方だ。紙を押えているのではなく、不自然に机の下へと伸びている。

 質問して答えてもらおうかとも思ったものの、あまりに書くことへ集中しているところに声を掛けるのは忍びなかった。

 だから、こっそり回り込んで机の影を覗き込んでみたのだけれど――――――――――。


「……何やってるんですか?」


 予想外過ぎた光景に、意識の壁を突き破って言葉が飛び出してくる。

 だって、会長の左手の先には、四つん這いになって頭を撫でられている寧々子ねねこさんがいたのだから。

 彼女は僕が見ていることに気が付くと、気持ちよさそうに緩んでいた頬を引き締め、スカートを叩きながらゆっくりと立ち上がった。


「ち、違うから!」

「何がです?」

「どうせ私が撫でられたがってたとでも思ってるんでしょ。勘違いも甚だしいわ!」

「でも、撫でられるの好きなんですよね?」

「違うわよ! 咲優が不機嫌だから、仕方なく頭を貸してあげてただけで……」


 必死に弁解しようとする寧々子さん。僕は彼女に歩み寄ると、右手で頭をポンポンとしてみる。

 すると、予想通り「ふぁ……」と間抜けな声を漏らしながら、強ばっていた表情を緩ませてくれた。

 撫でられると喜んでしまうのは、彼女にとって条件反射的なものらしい。髪型も相まって、本当に猫みたいな人だね。


「な、何するのよ!」

「確かめたんです」

「くっ……どうよ、全く喜ばなかったでしょう!」

「どこからその自信が湧いてくるのか分かりません」


 副会長がツンデレなことはよくわかったので、とりあえず本題に入らせてもらおうと、突っかかってくる彼女には引っ込んでもらう。

 それから、当初の予定通りお土産を渡すと、茶柱会長の表情がほんの少し柔らかくなった。

 しかし、ふと何かを思い出したように俯くと、「浜田はまだのやつ……」と拳を握りしめながら呟く。やはり浜田さんに対してなにか不満があるらしい。


「あの、これ」

「……箱?」

「チーズケーキです。浜田さんが会長と副会長に渡して欲しいと」

「あいつ、私がこれで許すとでも思ってるのか?」

「違うんです。浜田さん、どうして会長が怒ってるか分からないから、会うのを躊躇っているんですよ」

「確かに理由は言わなかったが、あれだけ来ればわかっているものだとばかり思ってた……」

「来るって何がですか?」


 僕の質問に何やらモジモジとし始めた彼女は、二度の深呼吸を挟んでから視線をこちらへと戻した。

 そしてほんのりと頬を赤く染めつつ、普段は隠している乙女な部分をチラリと覗かせる。


「お、女の子……」

「……女の子?」

「お土産を渡しに来てただろう! 私というものがありながら、あんなにチヤホヤされるなんて……」

「なるほど。つまり、やきもちだったんですね」

「わぁぁぁぁぁ!!! それ以上言うなぁぁぁ!」


 主人の怒りを察知したのか、忠犬ならぬ忠猫の寧々子さんが僕目掛けて飛びかかってくる。

 それほどまでに意識しないよう気をつけていたのだろう。会長ともあろう自分が、女子生徒たちの行為に対して子供のように怒っていたことを。

 その後、ひとしきり怒った会長は、その反動でしばらくしゅんと落ち込んでしまった。

 僕がそれを慰めようと奮闘した挙句、寧々子さんにもお土産を渡して代わりに元気付けてもらった事は言うまでもない。


「咲優、大丈夫。浜田はあなた一筋よ」

「……本当か?」

「もし裏切ったら、私がボコボコにしてやるから。今は安心するまで私を撫でていいわ」

「寧々子のお節介に癒される日が来るとは……」

「もっと感謝してもいいのよ?」

「はは、考えておこうか」


 おかげで茶柱会長が癒されたことはもちろんだけれど、僕の目にはむしろ寧々子さんの方が喜んでいるように見えた……ということは黙っておこう。

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