第123話

 ノエルに『それ』を手渡してから、どれくらいの時間が経っただろう。

 壁にかけられた時計の秒針がやっと一周したところだから、実際にはそれくらいなのだろうが、彼女の表情をじっと観察していた僕には、何倍にも長く感じられた。


「で、どう?」

「どうと言われても……かわいい?」

「そっか」


 そう言って小さく頷くと、彼女の手に乗せていた『カエルの人形』を受け取る。これで疑惑が確信に変わった。


「ノエル、もう嘘はやめた方がいいよ」

「……なんの事?」

「とぼけても無駄。もう気付いちゃったんだから」


 僕は人形を持ったまま立ち上がると、クローゼットの扉を一瞥いちべつする。

 たったそれだけで思考を理解したのか、ノエルは思い出したように行かせまいと腕を掴んできた。

 単にカマをかけただけと言うのに、すごく分かりやすくて不器用な人間だ。だからこそ、S級の器だとはどう足掻いても誤魔化せない。


「おもちゃだって分かってたから!」

「分かってたから、何?僕はまだ何も言ってないよ」

「っ……違うの!本物じゃないと平気で……」

「それでも、苦手な人は驚くと思うけど?」


 そう、僕が確かめたかったのは、『ノエルはカエルが大の苦手』というプロフィールにあった一言。

 僕をF級認定したあの機械が判定したものだから、絶対に間違いはない。


「ノエル、幼少の時に毒を持ったカエルを触って死にかけたんだってね」

「なっ?! そ、そこは高ランクの権利で隠してあったはず……」

「事務所の人に聞いたんだ、カエルNGの理由」

「そんな簡単に個人の情報を話すわけ無いよ!」

「でも、実際に話してくれたんだ。その証拠に、このカエルはノエルが触った毒ガエルと同じ種類でしょ?」


 僕はそう言うと、驚きのあまり力の抜けたノエルの腕を優しく除けて、「今度は彼女に聞いてみようか」と独り言のように呟く。

 すると、クローゼットの中からガタン!という音が聞こえ、近づいて開けてみるとそこには相変わらず無表情のイヴがうずくまっていた。

 彼女を引っ張り出してカエルを見せてみる。が、表情は変わらない。


「ほら、私はもう克服したんだよ!」

「違う」


 止めようとするノエルを無視して、今度はカエルを手のひらの上に乗せた。すると、表情はやはり微動だにしないものの、十秒もしないうちに額に汗が滲んでくる。

 いくら器用で表情や感情を誤魔化すことが出来ても、死ぬほどの恐怖を味わったという経験は、精神の深いところに根を張る。

 今のイヴは、言葉にしないだけでどうしようもなく怖がっているはずだ。


「認める?」

「……何を?」

「ノエルとイヴが入れ替わってたこと」

「っ……」


 ノエルがイヴ方を見ると、彼女は無言のまま小さく頷いた。そして力が抜けたようにその場に座り込む。

 その手から落ちたカエルの人形がコロコロと転がって、僕の足先にコツンと触れた。それを拾い上げてポケットにしまうと、ノエルがため息をつきながら聞いてくる。


瑛斗えいとくんはいつから気付いてたの?」

「気付いたってほどでもないよ。ランクに違和感を感じてただけ」


 初めてノエルを見た時、彼女がS級であることがどうも納得いかなかった。

 もちろん、ノエルは美人だし歌もうまい。普通に見れば付き合いたい対象ナンバーワンにもなるのだろう。

 けれど、恋愛格付制度におけるランクというのは、あくまで一般的な恋愛対象としてどれだけ優れているかを示すものだ。

 アイドルは高嶺の花どころか、恋愛禁止という制限のある遥けさの塊のようなもの。手が届くことは決してない。

 ただ、アイドルをやめれば付き合うことは可能だろう。でも、学園長が言っていた『ランクの数値は変動する』という言葉と1年生をランク見定め期間としている理由を思い出せば、あの機械がたらればを考慮していないことは明らかなのだ。

 つまり、『アイドルである』という事実は、恋愛対象として大きな減点になる。

 それなのにS級というのは無理があると考えた僕は、昨日ついに思い至った。2人のランクが逆だとすれば、しっくりくるんじゃないかと。


「いちごミルクを断ったのは、アイドルだからじゃない。ランク的に買えなかったからなんだよね?」

「……そう、全部バレちゃったんだね」


 ノエルは自嘲的な笑いを零すと、イヴを指差して言う。


「アイツが私から全部奪ったの!嘘をついてたのは、私の意思じゃない!悪いのはアイツだから!」


 アイドルだとは思えないほど、憎しみのこめられた声。よほどイヴのことが憎いのだろう。

 けれど、僕はその腕を掴むとできる限り落ち着いた声で「それは違う」と言いながら首を横に振った。


「事務所の人が情報を話したのは、彼らにも後ろめたいことがあったから。そこにはイヴも関係してるんだ」

「……どういうこと?」

「イヴには理由があってノエルから全てを奪ったってこと。あくまで、僕の憶測でしかないけどね」


 たらんと下ろされた腕から手を離し、イヴの方へと歩み寄った僕は、彼女と目線の高さを合わせるように屈んだ。


「事務所の人が『ノエル』について何かを隠してるのは明白だった。イヴは全部知ってるんだよね。話してくれる?」


 その言葉にしばらく無言でいたイヴは、小さく頷いてよろよろと立ち上がると、ノエルの方へと顔を向ける。そして。


「……ごめんなさい、イヴ」


 初めて聞いたその声は、『ノエル』と聞き違えるほどそっくりだった。

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