第33話 夜道には気をつけて

 結果から言えば、ノエルとの勉強会は何事も起きることはなく、ただただ普通に課題を進めるだけで終わりを迎えた。

 元々彼女自身はそう言っていたのだ、疑い過ぎただけなのかもしれない。


「お疲れ様、瑛斗えいとくん」

「そちらこそお疲れ様」

「おかげで一日で全部終わっちゃった。またアイドルに専念する時間が出来るよ」

「それは良かった」


 そんな会話をする頃には空は既に真っ暗になっていて、窓から見える景色には街灯が灯り始めている。

 早いところ帰らなければ、ノエルの家族も心配するだろう。


「終わったなら解散しようか」

「待って。危ないから一緒に帰らない?」

「……」


 君と一緒の方が危ない、なんてことが言えるはずもなく、瑛斗は彼女の申し出を受け入れることにした。

 確かに女の子一人で歩くのは危険だ。アイドルであるノエルなら尚更に。

 頼りないボディーガードだが、彼女に何かあって自分の責任になるよりかはずっといい。


「いいよ、これだけ暗いからね」

「えへへ、ありがと♪」


 ノエルは嬉しそうに微笑むと、両手で彼の右手を掴んでくる。

 こんなことをされれば、男なら誰でもいい所を見せようと張り切ってしまうだろう。大抵の場合空回りに終わるだろうが。

 何度でも思う。アイドルは男を自在に操ることに長けているのだろうなと。


「じゃあ、帰ろうか」

「うん! ちなみに、家はどっちの方?」

「門を出て右方向」

「同じだね」


 まるで初めから知っていたような……と疑いそうになるが、二人きりの時間に何も起こらなかったのだ、これ以上考えるのはよそう。

 瑛斗は頭を振って雑念を排除すると、「同じだね」と言葉を返して教室を出る。

 鍵を職員室に返した後、警備員さんに帰ることを伝えてから学校を後にした。


「転校生って瑛斗くんのことだったんだ」

「うん。馴染むのに時間がかかりそうだよ」

「大丈夫、何とかなるなる!」


 そんな会話をしながら歩く二人の帰路は案外似ているようで、瑛斗の家の少し手前まで何度も分かれ道はあったが全て同じ方向に進んだ。

 しかし、お隣さんやご近所さんならば、現代の廃れた近所付き合いでもある程度の面識はあったはずだ。

 それはつまり、ある程度距離はあるということで、ついに別々の方向へと進むタイミングが訪れた。


「僕はこっち」

「私はあっち」

「ここでお別れだね」

「そっかぁ。あ、良かったら家に来ない? お礼にケーキでもご馳走するよ」

「遠慮しとくよ。僕がアイドルの家を知っちゃうのも忍びないし」

「気にしなくていいのに。瑛斗くんは紳士だね」

「そんなことないよ」


 二人は「じゃあ」「また」と手を振り合い、背を向けて歩き出すノエルの背中が見えなくなるまで見送る。

 彼女が暗闇に紛れてしまったのを確認すると、彼もまた歩き出した。

 しかし、微かに聞こえたタタッという短い足音にピタリと足を止める。

 そして姿を現したメイド服姿の女性を見てホッとため息を零しながら、「102トウフさ……」と彼女の名を呼ぼうとしたその時。


「離れてください!」


 怒鳴るような声に驚く間もなく瑛斗の体は後ろへ突き飛ばされ、直後カキンと金属同士がぶつかり合うような音が夜道に響く。

 街灯に照らされない暗闇の中で、二つの影が交差するのがぼんやりと分かる。

 その片方はこちらに背を向けて守るように立ち塞がり、もう一方はそれを押し退けてこちらへ来ようとしているように見えた。

 そのもう一方の顔が見えたのは、人間とは思えないスピードで体を左右へ振った後、重心のズレた102トウフさんの脇を抜けて詰め寄って来た時だ。


「ノエル?!」


 金色の髪を揺らす彼女の握るナイフが鼻先へ触れる直前、102トウフさんの手がノエルの襟首を掴んで近くの塀に叩きつける。

 苦しそうな声を漏らしながらぐったりと座り込んだ彼女。衝撃でズレたのだろう、金色の髪が床に落ち、その下から銀色の髪が姿を現した。


「……どういうこと?」

「彼女はノエル様ではありません。今日、狭間はざま様と一緒に居たのも」


 その言葉で、瑛斗は全てを察する。そして銀髪の少女を抱えてもらうように伝えると、もうすぐそこにある自分の家へと運ぶことにした。

 聞かなければならない話がたんまりとある。今夜は長くなりそうだ。

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