第10話 誰かの何気ない行動が、誰かにとっては大きな意味を成すこともある

 お望みの限定パンケーキが席に運ばれてくる。その様子を紅葉くれははキラキラとした目で見つめていた。

 普段は強がって大人ぶっているところもあるけれど、やっぱりまだまだ子供らしい。

 早く食べたいという気持ちを隠そうとして隠しきれていない様子は、瑛斗えいとの目から見ても可愛らしかった。


「お待たせ致しました。ご注文の商品はお揃いでしょうか」

「はい、大丈夫です」

「ごゆっくりどうぞ」


 店員さんが一礼して立ち去った後、待ちきれないとばかりにうずうずする紅葉にナイフとフォークを渡してあげる。

 それを受け取った彼女の目が『食べてもいい?』と言っているような気がして、瑛斗は「いただきます」と手を合わせて見せた。


「いただきます!」


 パンケーキの一片を切り取り、クリームと果物を乗せて口へと運ぶ。

 小さな口に大きな塊を押し込んだ紅葉は、ただでさえキラキラしていた瞳を更に輝かせ、蕩けたような表情で頬に手を当てる。

 相当美味しかったらしい。瑛斗もひと口食べてみると、今の反応も頷けるほどの絶妙な甘さと酸味のバランスが舌を包み込んだ。

 これはカップルだと嘘をついてでも食べに来る価値はある。というよりも、カップルしか食べられないなんて勿体ない。

 限定なんてやめてレギュラー商品にすれば大層設けられるだろうに。この店のオーナーはなかなか人間の欲を刺激するのが上手いのだろう。


「食べないと味わえないのに、食べるのが勿体なく思えるくらい美味しいわね」

「ほんと、そうだね」


 この小さな体のどこにパンケーキが消えているのかは分からないが、幸せそうなのでそんなことはどうでもいい。

 それよりも、一枚目を食べ終えて二枚目にナイフを入れ始めた瑛斗は、ふと視線を向けた彼女の口元を見つめる。


「紅葉、こっち向いて」

「ん? 何よ」

「いいから」


 口の中にあったパンケーキを飲み込んでから顔を上げた紅葉に、瑛斗はそっと手を伸ばす。

 彼女は驚いたのか体をピクっとさせたが、大人しく動かないでいてくれた。


「ほら、口元にクリーム付いてた」

「ほ、ほんとね。気付かなかったわ」

「……舐める?」

「あなたの指なんて舐めるわけないでしょう?! 変なこと言わないでもらえる?」

「ごめんごめん、冗談だよ」


 そう言って彼がクリームの付いた指を舐めると、紅葉は何か見てはいけないものを見たかのように視線を逸らす。

 そんか彼女の顔が少し赤くなっていて、瑛斗は心配そうに首を傾げた。


「紅葉、どうかした?」

「い、いえ……なんでもないわ」

「本当に大丈夫? 辛いなら言ってよ?」

「ええ、ありがとう……」


 何だか様子がおかしい気がするが、本人が平気と言うならお節介を焼く必要も無い。

 そう思いながらパンケーキを食べ進める瑛斗だったが、紅葉の方はどうやら心穏やかというわけにはいかないようだ。


(い、今の……カップルっぽかった……)


 彼女の脳内では、瑛斗の指が自分の唇に触れる瞬間が何度も繰り返し再生されている。

 思い出す度に体が熱くなって、フォークを持つ手が震えた。こんな感情は初めてだ。

 言うまでもないが、紅葉に異性への耐性は無い。瑛斗に対してもそれは同じ。

 自分の方がランクが上だというプライドで理性を保ってきたが、普通触れられることの無い箇所に刺激が加われば顔にも出る。


(この気持ちはまさか……いや、そんなはずないわ。私がF級なんかに……)


 深呼吸を繰り返し、心の中を整理する。けれど、高鳴る鼓動の理由だけはピッタリとハマる本棚が見つからなかった。

 正確には見つけられなかったと言うべきだろうか。長らくひとりぼっちの殻に閉じこもっていた彼女にとって、誰かを好きになるなんて気持ちは見失うほどに遠いものだったから。


(違う、違うわ。びっくりしただけよ、そうに決まってる)


 強引に理由を付けて納得しようとする紅葉だが、その後に食べたパンケーキの甘さが分からなくなるほどに動揺していたことは言うまでもない。

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