第336話

「お兄ちゃん、明日から修学旅行だよね?」


 夜、食卓でご飯を食べていると、向かい側に座った奈々ななが寂しそうにそう呟いた。

 これまで何も言って来ないなとは思っていたけれど、やはり寂しさを隠していたんだね。


「日曜日には帰ってくるから安心して」

「もしかしたら飛行機が落ちるかも……」

「その可能性は低いと思うよ」

「向こうで事件に巻き込まれるかもしれないし」

「奈々は心配性だなぁ」

「だって、もしお兄ちゃんに何か―――――――」


 不安そうに目を伏せる彼女を、僕は近くまで歩み寄ってそっと抱きしめてあげる。

 彼女はそれでも「家にひとりぼっちになる」だとか、「会えないと辛い」と言葉を零したが、全部聞いた上でもう一度ハグをした。


「3泊する間、毎晩電話するよ」

「……ほんと?」

「僕だって奈々と会えないのは寂しいから」

「えへへ、私のこと好き?」

「大好きだよ」

「結婚する?」

「そういう意味じゃないから」

「はぁい♪」


 今日は断られても少し嬉しそうに微笑んで、スリスリと胸に頬ずりをしてくる。

 本当なら一人で置いていくなんて心配だから、朝昼晩と電話をしたいけれど、そんなことしていたら先生や紅葉くれはたちに怒られちゃうもんね。


「一人だからって勝手に友達泊めたらダメだからね」

「ちゃんと連絡するもん」

「男の子は絶対にダメだよ」

「カナちゃんは?」

「それは例外だけど」

「じゃあ、明日呼ぶね。一人だと寂しくてご飯食べれなさそうだから」

「わかった。僕からもお願いしておくよ」

「ありがと。お兄ちゃん、大好き」

「はいはい、大好きだよ」


 これ以上すると自分まで離れたくなくなりそうなので、ハグはやめて頭を撫でてあげた。

 ニコニコしてくれているし、これなら明日もすんなり見送ってくれるかもしれないね。

 奈々がブラコンになりたての頃はかなり酷かったから、それに比べれば今はある程度譲歩してくれるようになったのかな。


「ねえ、お兄ちゃん」

「どうしたの?」

「もし私が沖縄に現れたら喜ぶ?」

「多分怒ると思うよ。学校もあるわけだし」

「でも、嬉しい?」

「そりゃね。いつかは奈々とプライベートで沖縄に行ってみたいと思ってるから」

「じゃあそれまで我慢かな」

「そうして欲しいよ」


 そうじゃないと、色々と面倒なことになりそうだもんね。泊まる場所だってないだろうし、紅葉たちの部屋に入れてもらうしかなくなるだろうから。


「って言うか、来るつもりだったの?」

「聞いてみただけだよ。今からチケットなんて買えないし」

「そうだよね、よかった」


 麗華れいかの言っていたことが本当になるのかと思って焦ったよ。

 スーツケースを開けたら妹がこんにちはなんて、多分すぐに閉めて送り返しちゃうから。


「今日の夜は一緒に寝てもいい?」

「いいよ」

「お風呂も2人で入りたいな」

「隠してくれるなら」

「夜這いしても……」

「全部ダメにしようかな」

「……今晩はそういう気分じゃなくなったかも」

「それなら許してあげる」


 その日の晩は、奈々とほとんどの時間くっついていた。それを苦に感じないのだから、自分が妹を大事に思っているんだなと改めて実感してしまう。


「おやすみ、奈々」

「おやすみなさい、お兄ちゃん」


 同じベッドの上で、手を繋ぎながら向かい合うように寝転んで眠りに落ちる。

 お互いの呼吸のリズムが自然と揃って、それが心地よい子守唄になった。


「……奈々、寝ちゃった?」

「ううん、眠れないかも」

「僕もだよ」


 普段より少し一緒にいる時間が長いだけなのに、明日から会えないと言うだけでこうも時間が大事に思えるものなのだろうか。

 明日から3日間と半分もこの手を握れないのかと思うと、眠る時間さえ惜しく思えた。


「お兄ちゃん、ギュッてして」

「いいよ」

「……ん、ありがと」


 修学旅行は楽しみに思えている。けれど、この体温が何百キロも離れた場所にあるのかと思うと、背中に回した腕の力を抜きたくはなかった。


「すぅ……すぅ……」

「すぅ……すぅ……」


 でも、やはり睡魔には抗えない。布団に入ってから30分ほどが経過した頃、僕も奈々も穏やかな寝息を立てて眠りに落ちてしまう。

 朝起きた時、お互いに見つめ合って少し寂しくなったことは言うまでもない。けれど。


「お兄ちゃん、楽しんできてね!」

「お土産、沢山買ってくるから」

「うん!」


 見送る側も見送られる側も、最後に見たのが相手の笑顔だったから、きっと大丈夫だろうと思えた。

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