第22話 ハグには悩みを軽くする力があるらしい
「事情はわかった。でも、死んだらダメだよ」
見たくないものからは目を逸らし、聞きたくない言葉からは耳を塞ぐ。それが一番楽なのは当たり前のことだ。
彼だってそれが出来れば苦労していない。見て見ぬふりが出来たなら、彼の顔には今も笑顔が絶えなかっただろうから。
ただ、カノジョも思うところが無い訳では無いのだろう。一度我慢という壁が決壊してしまえば、溜まりに溜まった本音は尽きるまで溢れ出し続ける。
カノジョは未だに隠そうとしていた感情を、まるで嘔吐するかのように苦しそうな顔で口にした。
「だって、死んでしまえば私はもう何も聞かなくて済むでしょう?」
お母様が自分をダメな子だと呟く声も。
お父様が姉を褒め称える声も。
使用人たちの噂話も。
そして。
「見なくて済むんです、誇らしげな姉の顔を。これは当然の逃避なんです」
カノジョは「悪い子じゃない、ですよね?」と言って、瑛斗に望んだ答えを求める瞳を向けた。けれど、頷く事は出来ない。
もし頷いてしまったら、彼女はこの腕の中から飛び出して行ってしまう気がしたから。
「それは違うよ」
「……え?」
「死んだら楽になるかもしれない。けど、君を苦しめてきた取り巻きはきっと言うだろうね。勝手に死にやがってってさ」
「ど、どうして……酷いです……」
「両親も言うよ、何が不満だったんだって。世間だって攻撃する、我儘娘だって」
「そんな、私はこんなにも苦しくて……!」
「言葉にしなきゃ、誰も分かってくれない。誰も分かろうとなんてしないんだよ」
「っ……」
「もう気付いたでしょ。生きていなきゃ、言葉は使えないんだ」
死んでしまったら何も出来なくなる。がんじがらめでも抵抗出来た生前より、もっと重くて息苦しいものに囚われてしまうだけだ。
体は生きていても、心が生きていない。笑えないし、楽しいことは何も感じない。それで生きていると言えるのだろうか。
彼は心のどこかで、今のカノジョと妹とを重ねていたのだと思う。
気が付けば、早まったことをしようとした奈々を止めた時と同じく、遠くへ行くことを引き止めるかの如く抱き締めていた。
「……」
「……」
戸惑いながらも、冷えた体は温もりを求める。自分の中に久しく灯らなかった心の火を、目の前の誰かから受け取ろうと腕を伸ばす。
その両手はやがて瑛斗のせに回り、彼がしたのと同じように抱き締めた。
「……
「ん?」
「名前、まだ言ってませんでしたから」
「麗華さんか」
「さん付けは禁止ですよ」
「ああ、そうだった。麗華、綺麗な名前だね」
「初めてです。そんなことを言って貰えたのは」
カノジョ……いや、麗華の腕に少し力が込められる。嬉しかったのだろうか。
それは好きとか嫌いなんて感情を伴わず、まるで子供が甘えるように本能的な行動のように瑛斗には感じられた。
髪を撫でてあげると、手のひらを追いかけるように首を伸ばして擦り付けてくる。
いつから麗華としての時計は止まっていたのだろう。考えると恐ろしくて堪らない。
けれど、自分の体が彼女にこんな子供らしい顔をさせられていることが嬉しくも思えた。
自分でも救える命があるのだと、希望を持たせてくれたからかもしれない。
「麗華、落ち着いてきた?」
「……それなりには」
「そっか。良かった」
少なくとも、今すぐに再び屋上に駆け上がるなんてことは無いだろう。
妹のことも麗華のことも同時に解決することは簡単では無いが、少なくとも彼女が『敵』の正体でないことは分かった。
ここで見捨てれば、奈々のことも救えないと諦めることになりそうで、そんな危機感が張り詰めた気持ちの糸を弛ませることを許さない。
「大丈夫、なんとでもなる」
麗華に伝えながら、自分にも言い聞かせるように呟いて、二人は抱き合ったまましばらく静かな時間を過ごすのであった。
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