第21話 君の敵は僕の敵

「――――君が麗子れいこの身代わりだからだよね」


 その言葉を聞いた瞬間、麗子……いや、カノジョは大きく瞳を揺らした。

 視線が重なり合えば、まるで見えない腕で眼球を掴まれたかのように逸らせなくなる。

 カノジョは瑛斗えいとからそういう不思議な圧を感じていた。


「み、身代わりなんてそんな、有り得ません」

「まだ庇うの? 君をこんな目に遭わせた人間を」

「全部私の判断です。柵を越えたのだって、私が興味本位でスリルを……」

「……そうやって嘘を重ねるんだ、キミは」


 一度目の『君』よりも明らかに突き放した言い方をした『キミ』。

 それはこれ以上付き合えないという意志の表れであり、カノジョにとっては見捨てられるということを意味する。

 優しさを感じさせていた眼差しはいつの間にか冷え切り、嘘を吐き続けた人生の全てを非難しているようにも思えた。


「ち、違うんです。私は嘘なんて……!」


 見捨てられたくない。

 もう、誰にも見捨てられたくない。

 お母様も、お父様も、お姉様も。みんなに使えない子だと言われたくない。

 そんな恐怖から逃れるかのように伸ばした手が、離れようとする瑛斗を掴んで引き止めた瞬間にハッとした。


「見捨てたくないから、教えてよ」


 瑛斗の手は、ちゃんと温かい。

 先程までの冷たさが幻覚であったかのように、思わず離してしまうほど温かかった。


「わ、わたし……私……」


 それは孤独と恐怖で固められた残酷な決意を溶かすには十分過ぎる温度で。

 ただでさえギリギリだった器を満たし切ってもなお垂れ続けた蝋が、心の器から一気に溢れ出る。

 悲しい顔を見せてはいけない。笑っていなければならない。幼き頃からの教えさえも押し流してしまうほど、それは止めどなく流れ続けた。


「……」

「……落ち着いた?」

「はい、お見苦しいところをお見せしました」

「そんなことない。良い泣きっぷりだった」

「からかわないで下さい」


 カノジョはひとしきり泣いた後、ちゃんとした笑顔を見せてくれた。蝋で作られた仮面ではない、カノジョ自身の笑顔を。

 しかし、それはすぐに覚悟を決めたようなものに変わり、深呼吸の後に瑛斗の方を真っ直ぐに見つめる。そして――――――――――。


「私、本当はあの場所に瑛斗さんが来なかったら飛び降りるつもりでした」


 ――――――――話してくれた、心の内を。


「どうしてそんなことをしようとしたの」

「もう嫌なんです。生まれた家がお金持ちだっただけで、いい目も悪い目も好き勝手向けられるのが」

「チヤホヤされるのは嫌い?」

「瑛斗さんももう分かっているでしょう? この学園のチヤホヤは、単純に羨ましいでは済まないということくらい」


 言われなくても分かっている。紅葉くれはは冤罪、麗子は偽りの友人。二人のことを見てきたからこそ自分の痛みのように感じる。

 彼女たちの人間関係にヒビを入れている原因こそが、お金やランクといった憧れの対象なのだから。


「でも、だからってどうして飛び降りるの。逃げちゃえばいいのに」

「逃げる場所なんてどこにあるんですか。あるなら教えて欲しいくらいです」

「それは家とか……」


 瑛斗はそう言いかけて口を閉じる。家がカノジョを守るシェルターになるのなら、きっと無理して学校に来たりしない。

 それに思い返して見れば分かる。カノジョは一体誰に謝っていたかを。

 その人物たちこそが、追い詰めた犯人と言っても問題ない犯人なのだから。


「君の敵は、家族なんだね」

「……」


 彼の問いかけにカノジョは言葉こそ返さなかったが、心の片隅に残る迷いを振り払って小さく頷いてくれた。

 この勇気を前にして、家の問題はご自分でなんて言い出せないし言うつもりもない。

 一度決意を壊したのだ。こうなれば最後まで付き合おう、カノジョが新しい決意を見つけられるその時までは。

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