第211話

「少し痩せた気がするわ」

「気のせいだと思うけど」

「こういう気持ちが大事なのよ、ダイエットは」


 そんな会話をしながら、運動後のシャワーで濡れた紅葉くれはの髪をゴシゴシと拭いてあげる。

 やっぱり髪が長いと乾かすのも大変そうだね。


「私もジムに通おうかしら。効率的に痩せられそうじゃない?」

「このジムを使っても構いませんよ、月謝40万で」

「よ、よんじゅ……無理に決まってるじゃない!」

「冗談ですよ。一応お友達ですし、そこらの金ヅルデブ成金共と違ってお金を払う必要はありません」

「……なんだか貸しを作ることになりそうだからやめておくわ」


 麗華れいかは「それは残念です」と言いながら下ろしていた髪を高い位置でまとめ、瑛斗えいとに変わってドライヤーで紅葉の髪を乾かし始めた。


「あら、悪いわね」

「東條さんだけ瑛斗さんに触れられていることが気に食わなかっただけですよ♪」

「仕方ないじゃない、自分からするって言ってくれたんだもの」

「それは普段から世話を焼いてもらっているからでは? そろそろ自立しましょうよ」

「そんなことないわよ……ね?」


 不安そうに振り向いてこちらを見る紅葉に「ボランティアみたいなものだよ」と言ってあげると、彼女は嬉しそうに微笑んで「ほら」とドヤ顔をしてみせる。


「そもそも、瑛斗の転入したての頃に手を焼いてあげたのは私よ? 少しくらい頼ってもバチは当たらないわ」

「私もそれなりに手助けしたつもりなのですが」

「あの頃、白銀しろかね 麗華れいかはいなかったじゃない」

「……今それを掘り返すんですか?」

「あ、いや……」


 麗子れいこの件に触れられた彼女は、表情から一切の感情を消去してしまうと、短くため息をついて俯いた。

 その様子に慌てた紅葉は、素直に「ごめんなさい、そういうつもりじゃ……」と頭を下げる。しかし。


「……ぷっ、なんちゃって♪ 怒るわけないじゃないですか、あの件はもう解決したんですから」

「あ、あなたねぇ……!」

「今大事なことは別にありますよ」


 僕はその言葉を聞いて膨れっ面の紅葉を宥めつつ、ゆっくりと開かれた麗華の口を見つめた。


「大事なこと……それは夕食のメニューです!」

「……は?」

「お二人とも頑張りましたから、豪勢なものを注文しましょう。紅葉さんはマヨネーズ丼でいいですよね!」

「頑張りを無駄にさせるつもり?!」

「挫折を味わうことも時には必要ですよ?」

「それ、意図的にさせるものじゃないでしょうが」

「文句の多い人を相手にすると疲れますね、仕方ないのでキムチ納豆定食にしてあげます」

「臭いのつくものをまとめるんじゃないわよ」

「歯磨きはしっかりしてくださいね?」

「するわよ! するけど別のものにして!」


 スマホでUV〇Rに注文しようとする麗華を止め、「海鮮丼がいい! マグロとサーモンのやつよ!」と強引に注文を変更する彼女。

 だが、スマホというのは動きながら扱うと誤操作が起こりやすくなるもので、2人は『注文を承りました』と表示された画面を見て固まってしまう。


「……ど、どうするんですか」

「あなたが暴れるからでしょ!」


 どうしたのかと見せてもらった注文履歴に乗っていたのは、海鮮丼が100個注文されたというもの。

 もちろんこの場にフードファイターも奢る後輩たちも居ないので、どう抗っても3人でこの量は食べられない。


「すぐにキャンセルすれば間に合うよ」

「そうよ、早く早く!」

「……」

「ちょ、何してるの?!」


 口を半開きにしたまま固まっている麗華。「私が代わりにやるわ!」と紅葉がスマホを奪い取って確認するも、ボタンをポチポチと押すと同じように動かなくなってしまった。


「大丈夫?」

「……つかない」

「何が?」

「スマホの電源よ! ちょうどバッテリー切れだったの、充電しないとキャンセル出来ないわ」


 頭を抱えてしまう彼女に「早く充電しようよ」と促してみるも、現代配達の速さを前に完全に諦めてしまったらしい。

 仕方なく僕が代わりに充電をして最速でキャンセル申請を出しておいたものの、作り終えたものはキャンセルできないとそればかりは諦めるしか無かったのであった。しかし――――――――。


「よかったわね」

「命拾いしました」

「ほんとそうだよ」


 その後、直前に同じく100個注文した客がいたせいで材料不足になり、海鮮丼が9個しか作れなかったと店員が謝罪の電話をしてきたことはまた別のお話。

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