第210話

 僕を受け止めてくれたのは麗華れいかだった。彼女が偶然にも紅葉くれはのためにタオルと水を取りに来たところで、僕が倒れてきたらしい。

 さすが健康的なだけあって、自分よりも大きな体もしっかりと受け止めてくれたね。何か柔らかい感触のおかげで痛みもなかったし。


「麗華、ありがとう」

「いえいえ。ただ、瑛斗えいとさんも危なっかしいですね……」

「あれは機械の調子が悪かったんだよ」

「確かにそうみたいですけど、また同じようなことがあっては困ります」


 そういうわけで、結局僕も紅葉と一緒に指導を受けることになった。両方から目を離さなければ安全だろうと考えたのかな。


「東條さんは運動神経は悪くありませんよね」

「体育に関してはそこそこ自信あるわ」

「ですが、それはあくまで一瞬に全力を賭けた時の話。健康的な運動とは、全力ではなく体に染み込ませるようなものなのです」


 瑛斗にしていた説明を紅葉にも伝えてから、とりあえず機械を使わない運動から体を慣れさせていくことに。


「スクワット20回から始めましょうか。辛ければ止まっても構いません」

「ど、どうして私がこんなことを……」

「健康的になれば肌が綺麗になります。その結果どうなるか分かりますか?」

「どうなるってのよ」

「瑛斗さんに異性として見られやすくなるんです」

「……やる」


 麗華は「素直でよろしい」と頷いてから、スクワット開始の合図をする。彼女のカウントに合わせて腰を下ろしては上げを繰り返すが、運動が得意でない僕は7回目で座り込んでしまった。


「ふふ、だらしないわね」

「紅葉は余裕そうだね、すごいよ」

「こう見えて体力はある方なんだから」

「小さな体に大きな力……ぷっ……」

「ちょっと白銀しろかね 麗華れいか?!」


 馬鹿にされて火がつくも、「コーチですよ?」と言われると、まるで忠犬のようにすんなりと黙ってしまう。

 紅葉は犬というより猫だと思ってたけど、こういうのもなかなか庇護欲をくすぐられるね。


「瑛斗さん、行けそうならもう一度続けましょう」

「はい、コーチ」

「2人とも可愛げがありますね。コーチとして鼻が高いです」

「……脅迫してるだけのくせに」

「東條さん、何か言いましたか?」

「なんでもないわよ、早く続けて」


 そう急かされて再開したスクワット、瑛斗は20回目を終えると同時に仰向けに倒れ、紅葉は倍の40回やってもまだ余裕そうだった。

 この細い足のどこにそんな力があるのか不思議で仕方ないけれど、聞いたら猛特訓させられそうだから黙っておこう。


「次は腕立て伏せをしましょう」

「まだやるの?」

「下半身だけ鍛えるのはよくありません。やるなら上半身も一緒にですよ」

「麗華が言うならやるけど」

「頑張ってくださいね」


 再度麗華にはカウントをしてもらい、床に胸をつけることを意識しながらゆっくりと腕を曲げ伸ばしする。

 こういう時、負荷のかかっている筋肉を意識するといいんだとか。


「これも余裕ね」

‎「さすが東條さんです」

「ふふ、褒めても何も出ないわよ?」

「胸が平らな分、床につけるのも大変だったでしょう?」

「……こいつ、殴ってもいかいかしら」

「あら、もう一度牢屋に入れられたいのですか?」


 少しのことでまたバチバチと睨み合う2人。僕はヒートアップする前に鎮めてあげようと、二人の間に割り込んで「まあまあ」と距離を離した。


「胸の大きさなんて気にすることじゃないよ」

「男子には分からないのよ、この敗北感は」

「でも、運動する時は胸がない方が楽でしょ?」

「そうですよ、東條さん。肩が凝ったり、ジャンプしたら揺れてしまったり、男子にジロジロ見られたりするんですから」

「そ、それは大変ね……」


 紅葉は同情するような眼差しで麗華を見た後、自分の胸に手を当てながら「これで良かったのかもしれないわ」と呟く。


「瑛斗さんが気にしないって言ってますから、私たちは争うべきではないのです」

「……ふっかけてきたのはあなたでしょ?」

「そのまな板が羨ましくて、つい口から出てしまっただけですよ」

「やっぱりバカにしてるわよね?!」

「いやいや、持たざる者を憐れんでいるだけです♪」


 この後、「全国のAカップに謝れぇぇぇ!」と叫んだ紅葉と、「AAカップの間違いでは?」と更に煽りを重ねた麗華とが、レスリングを始めたことは言うまでもない。


「2人とも、いい運動になってるね」

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