第531話

 手作りクッキーは基本的に三日程度が美味しく食べられる期間と言われている。パーティーは明日なので問題はないだろう。

 ただ、ケーキの方はそうはいかない。ケーキの味においてクリームやフルーツの新鮮さは命といっても過言ではないのである。

 クリームは冷凍可能なレシピで作り、スポンジを持って帰るために念のために入れる保冷剤の代わりにした。これを明日の朝頃からゆっくりと解凍させれば、分離することなくおいしいクリームでデコレーションできるというわけだ。

 まあ、明日作ってもいいとは思うけれど、万が一何かあってクリームなしという事態になったら困るからね。この時期、どのお店でもクリーム系は値上がりか売り切れが続出しちゃってるし。


麗華れいかもデコレーションは来るよね」

「もちろんです。ここまでやっておいて、完成の瞬間を見れないなんて悲しいですから」

「じゃあ、10時くらいに来てくれたらそれから始めるよ」

「了解です。くれぐれもつまみ食いはしないで下さいね、東條とうじょうさん」

「わ、私⁈ するわけないでしょうが!」

「クッキーにこっそり手を伸ばしていたの、見てましたよ?」

「み、未遂よ。やってないんだからいいでしょ!」


 真っ赤になった顔をプイっと背ける彼女に『食べようとはしてたんだ』と思いつつ、「一つくらいなら大丈夫だよ」と頭を撫でてあげる。

 そんな僕の視界からぎこちない動きでフェードアウトしていくイヴ。相変わらずの真顔ではあるものの、明らかにおかしな挙動を目で追うと、彼女は諦めたようにとコトコと駆け寄ってきて人差し指と中指を立てて見せた。


「二枚、食べたんだ?」

「……」コク

「そんな不安そうな顔しなくても、クッキーくらいで誰も怒ったり――――――――」

「許されませんね、1枚ならまだしも2枚とは」

「私だって我慢したのよ? イヴちゃん、どう詫びるつもりかしら」

「……」プルプル

「ふたりとも、やめなよ。こんなに反省してるんだからさ」


 僕が間に入っても、イヴはペコペコと頭を下げている。詰め寄ってくる2人に余程恐怖を覚えたのだろう。

 カエルと同じレベルのトラウマになったりしては困るので、早急に2人を宥めて許してもらった。

 確かにつまみ食いをしたイヴも悪いけれど、紅葉に至っては食べようとする段階までは行ってたわけだからね。怒っても説得力が無いよ。


「ところで、奈々ななは? 一緒に御屋敷から出てきたと思うんだけど」

「静かだと思ったら、あの子が居なかったのね」

「確かに姿が見えませんね。玄関を出る時には後ろにいたのを確認したのですが」

「……」コクコク


 みんなの証言からして、御屋敷からは出てきているようだけれど、そこから門までの道中ではぐれたらしい。

 あそこは若干迷路になっているし、そんなに何度も来ていない奈々が迷っても無理はないだろう。

 そう思った僕が探しに戻ろうとすると、ふと道の脇に植えられた細長い木の影に隠れる何者かの存在に気が付いた。

 向こうは上手く隠れているつもりらしいけれど、思いっきり足が見えてしまっている。

 たったそれだけで何故か奈々だと分かるのだから、お兄ちゃんというのは不思議だ。……いや、いつも妹の足を眺めてるわけじゃないからね?


「奈々、かくれんぼは帰ってからにしようよ」

「っ……ば、バレてる……?」

「思いっきりね」

「お、お兄ちゃんたちは先に帰っててよ! 私はちょっと落し物を……」

「落し物というのはこちらでしょうか」


 落ちていたキーホルダーを見つけて奈々の背後に現れた瑠海るうなさんに、奈々は思わず大きな声を出しながらこちらへ転がり出てくる。

 暗くなってきたことで転倒したライトが、いい感じに下から照らしていたこともあるだろうけど、いつの間にか後ろに人がいたら怖いもんね。


「ほ、本当は何も落としてないんですぅ……」

「だったら、どうして隠れてたの?」

「……怒らないで聞いてね?」

「僕は怒らないよ。他の3人のうち2人は何するか分からないけど」

「うぅ、それが怖いのに……」


 その後、奈々の自白によると、彼女はクッキーを3枚つまみ食いしていたらしい。

 2枚で詰め寄られていたイヴを見て、3枚は絶対に怒られると怯えていたんだとか。

 普段は平気で言い合いをする割に、こういう時には年相応の反応をする。そんな姿にさすがの紅葉&麗華も笑っちゃってたよ。


「もう、イヴちゃんに怒ったのも冗談ですよ?」

「足りないなら明日作ればいいのよ。そのために余裕を持って準備してるんだから」

「……」ヨシヨシ

「先輩たちが優しい……明日は雷雨ですね……」

「どうやら怒られたいらしいですね」

「別に許さなくてもいいのよ?」

「……ごめんなさい」


 自分もなかなか甘い方だって自覚はあるけれど、先輩という立場での2人もかなり甘々らしい。

 なんだかんだいい先輩に囲まれている妹を見て、幸せ者だなと満足げに頷く僕であった。

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