第384話
イヴの頬の赤みが引いてきた頃、お土産屋さんから走ってきた僕たちは、先程
彼女は例のスリ男と取っ組み合いになっていて、野次馬もぞろぞろと集まり始めている状態だ。
「あれってのえるたそじゃないか?」
「え、マジじゃん!」
「なになに? 喧嘩?」
「あの様子だと何かあったんじゃないの?」
事情を知らない人々は口々に自分の予想を呟く。その事実では無いことは、多くの人が聞いたことで彼らの中での事実に変わる。
アイドルが喧嘩している、そんな噂が流れ始めてしまったのだ。やっぱりノエルに行かせるべきじゃなかったのかな。
僕がそう後悔していると、ノエルも状況を理解したのか、大きな声で「私の妹の財布を盗んだこと、許さないから!」と怒り始めた。
あえて自分で本当のことを伝えれば、周りの人も考えを変えてくれると思ったのだろう。
「そう言えば、のえるたそに妹いるんだっけ」
「ニュースで見たぞ、妹が巻き込まれたらしいな」
「てことは、のえるたそは妹ちゃんのために男を捕まえたってこと?」
「何それ、めっちゃ妹想いじゃん! てか、あの男最低じゃない?」
彼女の作戦が功を奏し、少なくともこの場にいる人には事実が伝わってくれたことが、聞こえてくる呟きからも分かる。
この時代のネットは恐ろしい。たとえ同じ状況の動画であっても、そこに付けられるコメントによって見る人の印象を変えてしまうのだ。
ノエルも人前に出れば芸能人。そういうところのケアはしっかりとしておかなければ、多くの人に迷惑と誤解を与えることになる。
「のえるたそ、頑張ってー!」
「そいつは俺たちが逃がさないからな!」
「壁作れ! 逃がしたらノエラーの恥だぞ!」
飛び込んで男を取り押さえようとする者がいないのは、妹を守る姉という美しい光景を崩さないダメだろうか。
それでもファンらしい人達は集まって肩を組み、スリ男が逃げようとしていた方向を完全に塞いだ。
応援の声にノエルは笑顔を返し、先程まで互角だった押し合いを少しずつ有利に傾けていく。さすがはアイドル、声援は力なりだね。
「イヴちゃんを傷つけたこと、後悔させてあげる!」
彼女がそう言った瞬間、男は掴んでいた手を離して突進してくる。
あっさりとかわされてよろけたところを、ノエルに下段蹴りで足をすくわれて転ばされてしまった。
「早く財布を返してくれる?」
「……断る」
「もう逃げられないんだよ? 諦めた方が罪も軽くなると思うけど」
「……罪? そんなのもう手遅れなんだよ」
一体何を言っているのか分からず、反省する気は無さそうだと説得を諦めたノエルが、財布を見つけて強引に取り返した直後だった。
いつの間にか彼女のすぐ側まで持ち上げられていた男の右腕が、ノエルの右頬に勢いよくビンタをしたのだ。
「お姉ちゃん!」
痛みに表情を歪ませた姉を心配し、イヴは慌てて駆け寄る。幸い跡が残るような怪我ではないが、先程の自分のように赤くなっているのを見て男を睨みつけた。
「そんな怖い顔するなって、イヴ。俺たち、昔は深い関係だったろ?」
「何を言ってるの。私はあなたなんて知らない!」
「そりゃ、隠してたら分からないわな。お前の姉がアイドルになる前のことだ、忘れてないよな?」
男がそう言いながらサングラスとマスクを外すと、スマホを構えていた野次馬たちは一斉にそちらへレンズを向ける。
だが、その空間でノエルとイヴだけは、目を見開いたまま時間が止まったかのように固まってしまっていた。
「あ、あなたは……!」
「お前の姉のせいで、俺はもう前科者だ。執行猶予で臭い飯は食わずに済んだが、減刑のために異常者を演じたおかげで精神科に入れられちまうしなぁ?」
「……何しに来たの、今更」
「酷いこと言うなよ、俺はお前の彼氏なんだから」
僕も
彼こそ、2人を入れ替わらなければならない状況に陥らせた、最低最悪な『ノエル』の元彼なのである。
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